縁の下の力持ち

2008年11月28日

池波正太郎さんをご存じでしょうか。長編『真田太平記』や、テレビドラマにもなった(かな)『鬼兵犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』などを書いた直木賞作家です。今『散歩のとき何か食べたくなって』を読んでいます。

以前から彼の江戸っ子(?)然としたところ、粋なところが好きでそのエッセイは昔からよく手にしていました。『真田太平記』もたいへんおもしろかった記憶があります。食通なのか食べ物への愛着、蘊蓄はさりげない表現ながらも、その深さを感じます。

彼が愛した、通ったお店に共通することは「いかにお客さんに喜んでもらえるか」を考えていることでしょうか。もちろん商売ですから利益は大切。自分たちも「食べなければ」なりませんからね。

「ま、一家が何とか食べて暮らしていけますし、時には店の改造もできます。・・・」
「何とか、その日その日がやっていければいいのですから・・・・・・ええ、それでお客さまにたくさん来ていただいて、にぎやかにやって行きたいんですの。」以上原文のまま引用させていただきました。店主、女将の言葉です。

安くて、うまくて、池波氏の舌を満足させているので、きっと本物だった(彼は故人です)のでしょう。まあ安いといっても彼の懐具合からの表現、庶民のわれわれの財布から考えると相応のお値段かもしれません。

20年ほど前に亡くなっている方です。今の相場とは違うでしょう。京都のお店もいくつか載ってます。機会があれば探してのぞいてみましょう(あくまで、のぞくだけ。入るとは言ってませんよ。知っているお店(3店)、行ってみたいなと思っていた店(1店)もあります。ただ、今もそのお店がやっているのや、いないのやら・・・・・・)とは思います。元気でやっていてくれればとってもうれしいですね。

振り返ってゼミになぞらえれば、生徒が、保護者の方が満足していただける場をいかにこしらえるかなんでしょうね。私も仙人ではなく、食べなければいけませんから、もちろん利益は考えています(苦手だけど)。ただ根底には「食べられりゃいいや」という気持ちは常にあります。食べられなきゃ困りますもんね、かすみを食べるわけにはいけませんし。

そろそろ生徒のみんなのテストが返ってきたよう。前回あまり芳しくなかった子が、うれしそうな顔で
「せんせ! 聞いて。数学50点超えたで」とか「国語71点やった~!」とか報告してくれると、なによりうれしいです。よくできる子がいい点をとってくるのも、もちろんうれしいのですが、振るわない子たちががんばって少しでも結果を出してくれるのもとってもうれしいことです。

食を、雰囲気を楽しんでもらう食堂、レストラン、料理屋。私たちは何を楽しんでもらうんでしょう。雰囲気はもちろんありますね。あとは自分(生徒自身)ががんばったその達成感、充実感を味わってもらうことかな。俺たちはなんもしてへんのかな、ただ、みんなのやる気を助けるだけかな。そう俺たちは縁の下の力持ち(あ、俺は力も富も何もないけど)に徹しましょう。