北の国から

2009年01月31日

倉本聰さんの『北の人名録』を読んでいます。北海道は富良野に移り住んだ直後の氏が書いた随筆です(たぶん)。北の地へ移った彼と土地の人たちとの交流が描かれています。思わずふきだしてしまう場面も随所にあらわれます。
おもしろい。いきいき伝わります、かの地の生活が。さすがに脚本家、展開が、う~ん、なんていう表現が当たるんだろう…… うまいそれが見つからない。とにかくおもっしゃい(北海道弁です)です、なまら(同)。向田さんと比べると軍配は間違いなく? にあがりますが、なかなかの傑作です。ぜひお読みください。
なんと言っても彼は『北の国から』ですよね。私自身はドラマは見ないので、あまり知りませんが、一時は一世を風靡しました(らしい)です。富良野を一躍有名にしたそれです。
彼に限らず文筆で生計をたてている人にあこがれます。欲をかくつもりはさらさらありませんが、食えるなら、つつましくとも生きられるなら、北の地に引っ越して余生(って、あなた、もう人生捨てたんか? まだまだ働き盛りやんか「おっ、きみ、ひさびさの登場やん。元気やったか」ありがと。あんたが登場させてくれへんかっただけやけどな)を送りたいですね。
さてやすませていただきます。酔いました。

三つの「い」

2009年01月30日

お世話になっている本屋さんの教材展示会でした。1年に一度しか会わないような方とここでお会いするのが楽しみです。今日もお元気そうなみなさんにお会いできてよかったです。
行く前ぼーっとしてて道を間違えました、2回も。さらに会場のホテルに着くといつもの駐車場が工事中で使えず、遠回り。ひとつ主催者に苦言。前もってわかっていたのなら、お知らせのお手紙にその旨を入れてくださったらよかったんですがね。
人のことは言えません。ほんのちょっとした気遣いが大事なんでしょうね、相手の人にいい気持ちになってもらうには。塾においては相手は生徒。迎合、おもねりは不要です。ただ生徒たちが気持ちよく過ごせる空間、充実した時間を楽しめるよう心がけましょう。
ゼミの備品を買いに行ったホームセンターで買いました。ゼラニウムです。和名は「あおい」とか「たちあおい」だったような気がします。葉に特有の香りがありますが、花はすてきです。雨後の虹のような、ちょっと遠慮がちな華やかさを感じるのは俺だけかな。

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世は暗い知らせばかりなので、せめて気持ちだけでも明るくと思って買いました。つゆはらゼミの玄関口が少しは和らいだかな。
風邪、インフルエンザがはやっているようです。入試直前です。受験生のみなさんはほんとうに気をつけてくださね。わたしは三つの「い」で風邪を寄せ付けません。うが「い」、手洗「い」、気合「い」です。
ご自愛あれ。おやすみなさい。

思わぬ出費だな

2009年01月29日

自転車屋さんへ行きました。
「すみません。こぐとすごい音がするんです。みてもらえませんか」
「ペダルの軸が傷んでますね。交換しないといけません」さすがプロ。すぐにわかります。
「いかほどかかりますか」
「6~7000円かかります。あとだいぶ乗られているので、タイヤもここも、あそこも……買った方がいいかも知れません」
「う~ん。ちょっと考えます」ここのところいろいろな出費が重なります。こういうもんでしょうね。いらないものを買うわけではなく仕方ないかと決断。優柔不断のつゆちゃんにしては、なかなかの英断。買いました。これです↓。

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大事に乗るようにしましょう。最近は自転車盗が増えているという新聞報道も読んだので気をつけなければいけません。平気で盗んで乗り捨てる方の心境が理解できません。自分が盗まれたから盗み返す人もいるそうな……。いやな世の中です。
子どもの頃自転車が欲しかったんですが、なかなか買ってもらえませんでした。買ってもらったかなあ。覚えがありません。友達(吉田一人"かずと"くんやったかなあ)の自転車に乗ってとってもうれしそうに撮ってもらった写真がアルバムに貼ってありました(たぶん)。そうこうするうちに北海道に転校。あちらでは半年近くが雪、氷なんで自転車は当然買ってもらえず、自分の足で移動していました。
モノの面では日本は豊かになりましたね。でもここのところの世間の情勢をみていると、見せかけだけのそれなのかもしれません。明日をも知れぬ人たちがいっぱいいるんですからね。俺だっていっしょです。そう、だれだって明日はわかりません。非正規切りがけっしていいことだとは思いません。政府の責任も追及されるべきでしょうが、自己責任もあるのは事実でしょう。
っていいますか、この窮地、日本政府やオバマさんなんとかしてくださいね。誰も助けてはくれませんが、俺は俺でなんとか努力してみますからね。
みんなが平和にゆったり暮らせる世にしたいですよね、ぜひとも。

耐用年数

2009年01月28日

愛用のママ(パパかな?)チャリ自転車が悲鳴をあげています。
「きぃ~、きぃ~、ぎぃ~、ぎぃ~、ガラガラ、グリン、グリン」通りかかった家々の人々の眠りを覚ますチャリンコ音です。空中分解してしまいそうです。さて、もう何年乗っていましょうか。かれこれ10年近くなりましょう。かなりガタがきています。明日自転車屋さんに見てもらうことにしましょう。走ってて、バラバラになって転倒しないうちにね。
携帯電話の充電池がすぐ減るようになりました。もう間もなく5年になります。長く愛用しています。前に電池を換えたり、修理をしてもらったりしたときに言われました。
「お客様、3年を超えましたので次に不具合が生じたときには部品がないことも考えられます」というような話だったように記憶しています。してみると、もう換えの電池はないかもね。もったいないし、なんとか使える限りは使い続けようと思っていますが、いつまでもつものやらちょっと不安です。仕事の電話がほとんどなので、話している途中に切れたら具合悪いですからね。そろそろ買い換え時なのかもしれません。
自転車に携帯電話、月日がたつとなんでもガタがきます。とすると俺の体なんて使うこと52年を超えました。そろそろ、というかとっくの昔からガタガタかな。この俺の酷使によく耐えてここまできてくれました。まだまだ続くしよろしくな。では。

たべすぎか?

2009年01月27日

ふだんはうどんかそばのめん類、食べてもご飯半分つけるくらいですが、走ったせいかひさびさチキンカツなるものを食しました。お腹ぽんぽんになりました。身のほど、年のほどをわきまえねばなりません。
口いやしいから、おいしいものがあるとついつい食べ過ぎることにも注意しなければなりませぬ。消費熱量はかなり多いと思っているんですが、勝手な思い込みかもしれません。その割に食べていないと思うのも同様かも。だって腹が出てきたもんね。
なんかあっという間に時が過ぎます。はや1月も末。ついこの間新年を迎えたと思ったのですが、間もなく2月です(午前2時です)。今日は京教附の小学校入試。私学の入試まではあと2週間。いよいよ本番です。みんなが合格してくれるよう私たちも全力を尽くしましょう。みんな受かれよ、ほんま。
毎年同じように俺たちは繰り返しているけれど、子どもたちは初めてのこと。それなりにみんな重圧を感じているんでしょうね。毎年やってる俺たちもかなりのそれをいただいておりまする。
やることいっぱい。手ぎわよく(実は違う)片づけても、片づけてもたまる方が多い。それはやはり要領が悪いだけですね。走ったり本を読んだりする時間を、くだらぬブログに費やすそれを今少し、もうちょっとやるべきことに回すべきでしょう。でも楽しみは楽しみ。別枠で考えたいですからね。
では、やすみましょう。おやすみなさい。

電話

2009年01月26日

先日HP上から資料請求のあった保護者の方からお電話をいただきました。
「一度見学にうかがいたいのですが」と。いきなり塾に電話で問い合わせるというのは、やはり保護者の方にも抵抗があってストレスなのかな。自分のことを考えてもメールの方が気楽に連絡できるという感じがします。ということはやはりHPがあって、そこから資料が請求できるのは生徒の側に立てばいいことなんでしょうね。
今でこそひとりにひとつ、当然のように電話を携帯していますが、昔は電話なんて普通のお家にはなかったですからね。私は電話をかけるのがいまだに苦手です。
我が家に電話がお目見えしたのはいつだろう? 中学生のときかな。それも親父の職務上、隊からの非常呼集に対応するためのそれ。いわば「公」の電話でした。
仕事をしだしてからも、電話が鳴ってもとるのは苦手でした。自分の方からかけるのはもっといやでしたね。今も電話は嫌いかな。なんでかな、表情が見えないからかな。

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ご覧ください。とある筋から手に入れました、Sバンクのお父さん。大好きです。彼はかわいいですね。役はお父さんですが、本当は北海道犬のカイくんです。
この子はしゃべります。「こら、会社行け」「どこをほっつき歩いてるんだ」「おやじ、がんも」「あちゃ」「今日はそこまで」押す位置でせりふが変わります。ちょっと怒った声です。彼がソフトバンク純増No.1に大きく貢献したのは間違いないでしょう。
さて今日は早起きしてがんばって仕事をしたので眠いです。やすみましょう。

小癪なやつでした

2009年01月25日

『青葉繁れる』井上ひさしさんを読みました。ご自分の高校時代にその題材をとった自伝的小説です。ふだんあまり耳にしない仙台弁(?)がそのままに活字にされていてちょっと読みにくい面もありますが、中身は面白いです。
東北一の進学校に通う、頭の中は女子のことでいっぱいの落ちこぼれ4人組と東京からの転校生が巻き起こす数々の事件がてんぽよくつづられています。そのハチャメチャ振りには思わず吹き出してしまう場面満載です。それでいて正義、義侠心を感じさせ、ほろっとさせてくれる一幕もしっかり設けてくれています。
自らの児童養護施設、光が丘天使園での体験を下に書かれた『握手』は中3の国語の教科書に載っていますね。この間読んだ『41番目の少年』も同様。こっちはちょっと重く、暗い作品でした。
彼の生い立ちを知るとなかなかたいへんな人生を歩まれたようです。後者にはそれらの体験が随所に出てきます。
彼ほど数奇な人生を送ってはいませんが、自分のそれに重ね合わせます。中学のときは校舎の2階から飛び下りました。当時高いところから飛び下りるのは得意でした。
「露原にできるんなら俺でもできるわ」といって私のあとをおったSくんは鼻から大出血でした。Sくんとはいろいろあってボクシングの真似ごとをしていて彼をノックアウトしてしまったこともありました。
先輩に生意気だと校舎裏に呼び出されたこともあったなあ。なぜか殴られることもなく、事なきをえましたが、どうしてかは覚えていません。生意気だったのは事実です。
先生にもよく怒られ、ビンタをくらったことも一度、二度ではありません。馬鹿な生徒でした。先生にとってはやりにくいやつだったでしょう。
高校でもいろいろありました。剣道部で強くなることに必死だったかな、いや好きな子にこっちを向いてもらうことに夢中だったね。あはは。
今日は昼一から中3の授業。なんだかんだで9時まで。ふだんやらない数学の質問もあったりでたいへんだったけどなかなか充実の一日でした。明日からもいろいろ仕事山積。やすむとしましょうか。

人の心配より……

2009年01月24日

ひさびさ60分超、10㌔超走りました。寒くていくら走ってもほとんど汗が出ませんでした。宝が池近辺で一度も走ったことのない道に遭遇。
「どこに出るんだろう」と思いつつ行くと北山通と高野川の交差する辺りでした。けっこうどの道も知っているつもりになっていましたが、まだまだ知らぬそれの方が多いのでしょう。人間何でも知っているような気がして実は知らないことの方がずっと多いんですよね。
ゼミの壁をふと見るとウスバカゲロウ(?)でしょうか(調べてみるとクサカゲロウのようです)。強風に飛ばされまいと懸命にしがみついています。よりによってこんな寒い日に羽化したのでしょうか。折から雪まで降り始めました。
「寒いけどがんばりや」と心の中でつぶやいてしまいました。

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今日小6のお母様がみえて入塾の手続きを。聞くとあの有名なKに行っているけれど、本人が
「中学生になったら塾行く。『つゆはら』行ってがんばりたい」と言い出したとのこと。Kは「塾」という認識じゃないのか、生徒や保護者にとって………。
ともかくうちを選んでいただいてありがたいことです。精一杯やらせていただき、喜んでいただかなければいけません。ただKの先生のお気持ちを考えると複雑です。もちろんその逆もありですし、うちをやめて他塾へという選択もありですから、人の心配をしている場合ではありませんが、やはり心中穏やかならずです。
さて明日も中3生の入試直前講座と定期テスト対策をしてやる予定。その前に走るか否かは思案中。どちらにせよ早く寝て備えますか。

寝坊しました

2009年01月23日

小2の双子の兄弟が引っ越しのためやめる旨をお母様が言いに来られました。1年前からわかっていたとはいうものの寂しいですね、やはり。
驚いたんですが、そのお兄ちゃん(元ゼミ生)18歳が結婚して、パパになるんですって!!!!! お母様も若くして結婚されていて、ものすごくお若くておきれいなんですが。長兄さんも早くに結婚していて、うちに来てくれていた小2の子たちは0歳のときにすでにおじさん。しかも自分たちと同い年の甥がいるというややこしさなんです。同い年でありながらおじ甥ということであります。いろいろな人生があるものです。
今日は忙しくて昼食をとる時間がなく、夕方やっとパンをむさぼりましたが、胃が不調です。規則正しい食事を心がけなければいけません。仕事がら夕食が遅いので体に良くない毎日です。まあもう25年やってますから、慣れましたが。
朝、寝坊しました。8時に合わせた目覚ましにまったく気づかず、起きたら10時過ぎでした。人との約束がなくてよかったのですが、仕事がつまっていたので、いたかったです。今日は早く寝ましょう。
世界選手権スノーボード、ハーフパイプで青野選手が優勝しました。最近はアルペン系も日本人が活躍です。
実は私は大学時代は体育会スキー部だったんです(下手くそで4流選手でしたが)。その後輩たちがインカレでがんばって男子がⅡ部で優勝。来年はⅠ部復帰です。私たちのころは想像すらできない、したくない(Ⅰ・Ⅱ部になると滑降があるんです。あれは恐怖です。時速100㌔は出ます。その恐いことといったらたとえようがありません)位置です。来年は男女そろってⅠ部です。健闘を祈りつつやすもっと。
おやすみなさいませ。

徒然草、いや徒(いたづら)草です

2009年01月22日

「漢検」を実施している「日本漢字能力検定協会」が過去5年間で、なな、なんと20億円の利益を上げていたそうですね(読売新聞)。知らなかったんですが、公益法人ということで法人税などが免除されるんですね。だからホントは利益を上げてはいけないようです。正直なところでありますが
「ようもうかっってるやろなあ」と思ってました。だって「270万人の漢検」ですからね。さらに営業もお上手です。年間10数回はかの協会からお電話があります。しかも美しいお声の女性ばかりです。何回も協会そのものにもうかがいましたが、みなさん感じのいい方ばかりなのは事実です。
まあ漢検そのものはとっても生徒によい検定だと思うので、今後も勧めて参りますが。ちょっと勧誘の勢いがそがれますね。
漢字、言葉は大切です。生徒たちを見ていると痛感します。人の意見を聞いたり、自分の気持ちを表したりするのに言葉は不可欠です。字が読めないと書いてあることが理解できません。言葉がわからないと相手の言いたいこともつかめません。始めに言葉ありき、かな。難しいことは語れませんが、ある意味すべての基は言葉にあるんではないかと思います。
と言いつつ己の語彙の少なさを毎夜、毎日実感しています。日々勉強。語ることに、書くことに責任を持ちつつ綴らせていただきます。徒然なるままにね。

尻に火だ

2009年01月21日

ゆうべというか深夜というか日付は今日ですが、思わずアメリカ大統領就任式を途中まで見てしまいました。ワシントンに200万人が集まったとか(京都新聞)。すごいですね。どこかの国とはえらい違いです。大統領制と議院内閣制のそれもあるのでしょうが、彼らから
「自分たちが国をつくるんだ」という強い思いが伝わってきます。民主主義の原点を見たような気がしたのは私だけでしょうか。けっこう感動しましたね。
一方でガムをかんでいる人がいたり、列席の海軍(たぶん)軍人がデジカメで写真を撮っていたり、かまわず私語を交わしたりする姿に自由の国、アメリカを感じました。帽子にサングラス、手袋したまんまなんて当たり前でしたね。どこかの国なら直立不動、背筋ぴんでしょう。同じようにやってたら不謹慎の謗りは免れないでしょう。まあどこかの国の律義さも嫌いではありませんがね。
さてオバマ大統領、弱冠47歳5か月(でも史上5番目だそうです)の若さでこのたいへんな折にアメリカの、世界のかじ取りを任されました。果たしてその手腕のほどを見せてくれるのでしょうか。期待したいですね。
どこかの国の麻生さんにも期待しましょう。未曽有(いわく「みぞゆう?)の危機です。これ本当にそうですからね。
昨日のブログに「秋霜持己」に覚えがないと書きましたが、すみません。書いてました。京都文教高校の瑠璃殿にある額の言葉でした。「他人に優しく自分に厳しく」というような意味です。自分で書いたことを完全に忘れているんですから情けない話です。年のせいだけではないでしょう。
やること山積その割だらだら。なんともはやだらしないツユちゃんです。明日はちゃんとやらなきゃやばいですね。

987

2009年01月20日

今回のアクセスレポートによると、セッション数は987。残念ながら1000の大台には乗りませんでした。数にこだわるつもりはありませんが、ちょっと残念かな。でも思うに1000近くもいったいどなたがご覧くださっているのでしょう。まあ自分でもブログを書いたり、確認したりもするので、一日に自分で二回はアクセスしています(自身、毎日文言におかしなところがないか確認のため何回か開いてはいますが、同じPCからは一日のうちに何回アクセスしてもカウントは一回だそうです。念のためです)。
検索のために入力されている「ことば」を確認するとおもしろいですね。主なのを拾うと
「やせ馬の先走り」「秋霜持己(どんな意味だろ? 自分で使った覚えがありません)」「20代ズボン下白」「ビール瓶ふたバッジ」「居酒屋つきだし有料」などなど。実にいろいろ多彩。
滞在時間を見るともっとおもしろい。なんと秒単位の連続です。ということは知りたい情報を調べるためにキーワードを入れてみたものの、まったく役にたたず、すぐにページを閉じちゃったんですね。アハハハハ……そんなもんでしょう、きっと。平均サイト滞在時間に至ってはなんとたったの1分37秒です。これじゃうちの塾のことをわからないまんまに離脱されてますね、みなさん。
なんだかよくわかりませんが、ブログへのアクセス、加盟の京都私塾連盟からのアクセスが多いようですので、身内、お知り合いがたくさん見てくださっているんですね。ありがとうございます。ということはあまり塾をお探しの方はご覧になっていないんですね。ま、いいか。人生そう思うようにはいきませんよね。(;一_一)でもこのひと月でウェブからの資料請求が3件あったな。「HPをみたんですが……」という電話も1件あったし、いい方でしょう。
987という数字だけでよくここまで引っ張りました。こんなブログばかりだとそのうちどなたもご覧になってくれなくなりましょう。

心して生きます

2009年01月19日

「せんせ、お客さんです」ピンポンの応対に出た事務の人が伝えてくれます。
「誰やろ」
「なんか前に通ってくれてはった生徒さんみたいなこと言うてはりますよ」
「そうですか」
「こんにちは。覚えてくれてはります? I・Dです」
「お~懐かしい。顔だいぶ変わったなあ。言われなわからへんかったかもしれへんわ。いくつになったん?」
「29歳です。ぼくあほやったし、覚えてくれてへんと思ってました」
「基本的に全員覚えてるで。きみは旭丘中で家は確か氷室やったなあ。今どうしてんの?」
「市バスに乗ってます」などなど延々会話が続きます。
「あなたには、よう怒ったなあ。今思うと恥ずかしいわ。悪かったなあ」
「いや、そやしよう覚えてますよ、せんせのこと。怒ってもろてよかった思いますもん」とすっかり大人の会話ができるようになっています。そらそうか。29やしじゅうぶん大人やね。それにしても教えた子たちが成長して訪ねてくれることはとってもうれしいことです。立派に人生を送っているその姿を見せてくれることはこの上ない喜びです。

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中3がテスト間近とあって居残り学習。こっちはやや疲れ気味とはいえ、みんなががんばっているのでお付き合い。帰るのが遅くなりました。みんな受かってほしいよなあ。最近いつもそればかり考えています。左側頭部の中央にかすかな痛み(というほどでもないけど)。早く寝るべし、との信号かな。

今NHKで地域医療に献身する中村伸一先生のドキュメンタリーをやっています。福井県名田庄村で診療所に勤務する医師です。
「こんな医師も、というか人もいるんだなあ」と頭が下がります。涙がこぼれます。
「プレッシャーはあるけど、自分を頼ってくれる人がいることが支えになっていますね」17年間もの長きにわたっての献身です。もがき続けたそうです。ほんの少しでも見習って、残りの人生を生きていきましょう。自分のために生きることも大切ですが、他人のために生きることも大事なことなんでしょう。心してまいります。

自己嫌悪

2009年01月18日

朝はだらだらしてしまいました。自分が嫌になりますね、ほんと。やることいっぱいあんのに……。遅く起きたぶん、その後はてきぱき(?)やりました。軽く走って(走らんでもええって。他のことやり)、授業前に本を仕入れに宝が池のブックオフへ。千石涼太郎さんの北海道もんが見つかり、思わぬ掘り出し物ににんまり。ついでにCDの一角ものぞいて小田和正さんの『伝えたいことがあるんだ』を購入、1,250円。約3分の1で入手できました。

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天童荒太さんの『永遠の仔』を読んでみようかなと思いましたが、あまりの長編のようで、今日はやめました。またいつかですね。長編といえば昔は山岡荘八氏の『徳川家康』や池波正太郎氏の『真田太平記』、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』などなどいろいろ読みました。いずれもなかなかの大作でしたね。読み進むうちに主人公なり、他の登場人物なりの人生を自分が歩んできたような、いるような感覚に陥った覚えがあります。本の中に、小さな人生を重ねたのでしょうか。
中3の面々は今日もがんばりました。入試対策と定期テスト対策、それぞれ3時間弱。集中してましたね。体力勝負、気力のそれになりますね、これからは。私たちもできうる限りの応援をします。受験生のみんなも大変だけど最後まで気を抜かず全力を尽くしてくださいね。

春近し

2009年01月17日

全国的には大学入試センター試験、京都では私立中学の入学試験でしたね。ずっとがんばってきた子どもたちの、その真価が問われるときです。みんながその力を発揮してくれたらと願います。
ゼミでは入試直前講座やら、定期テスト対策講座やらで中3生ががんばりました。さすがにこの時期みんな真剣。冗談を言うのがはばかられる雰囲気です。私立高校入試まであと3週間少しです。かなり仕上がってきました。過去問をやっても8~9割とる生徒もいます。
今日は少し早く仕事を終え、早めに食事をしました。その後ちょっとボーっとしていると、思わずうたた寝。昼寝やうたた寝、仮眠というのはめったにしません、やはり疲れているのかもしれません。んなことを言いつつ毎日走っているんだからバカですね。自分に過重なことを課し過ぎるのでしょうか。けっしてそんなつもりはありませんが、そうなっているのかもしれません。もっと気楽に、そうできるところはそうしましょうね。ついついやらなくていいところに力を使います。悪いくせですね。あまりない能力をもっと自覚して有効に使うようにしなくてはいけません。
今日たばこを吸いつつふと見ると梅の木の枝に小さなつぼみ。寒い寒いと言いつつも、春は確実に近づいています、

読書は楽し!!!!

2009年01月16日

角田光代さんの『エコノミカル・パレス』を読みました。『キッドナップ・ツアー』以来の2冊目かな。いや随筆1冊読んだかな。後者のほんわりした内容とはまったく趣を異にするもの(そらそうか、後者は児童文学やしな)ですが、面白かったです。34歳、フリーター(女性)が主人公。「そうか。こんなんも書かはんねや」という感じ。どっちが先なんでしょうね。
随筆も軽く読めていいし、それなりに得るものもありますが、後に残らないこともありますね(俺の記憶力の問題か)。その点、小説の面白いものは、次にいかなる展開を見せてくれるかが気になってついつい朝方まで読んでしまい、朝つらくて後悔することも多いです。
そういえば芥川賞に津村記久子さんの『ポトスライムの舟』、直木賞に山本兼一さんの『利休にたずねよ』と天童荒太さんの『悼む人』が選ばれましたね。京都に縁のある人の受賞、うれしいのは俺だけでしょうか。津村さんは大谷大卒、山本さんは同志社大卒、北区在住というではありませんか。3作ともまったく知りませんが、機会があれば読みましょう。
読書はいいですよ。読むことでその世界に引き込まれます。しょせん一人の人間が生きたって、実際に己が体験できることなんてたかが知れています。現実ではけっして経験できない世界へも連れて行ってくれます。まだまだ書こうと思えばあるんですが、眠くなってきました(酔うたんやろ「とも言えます」)。これ以上はきちんと論理的には無理です(「これ以上は」って今まで論理的やったん?)。寝ましょう。やすませてもらいますね。

エゴグラム

2009年01月15日

昨日の心理学の流れで「自分の性格や行動タイプがわかるエゴグラム」というのがネット上にあるということを教えていただき早速やってみました(やっぱりあんたひまやな)。それによると私は「葛藤タイプ」のようです。「『V字型』」の人は、自分にも他人にも厳しく、ストレスを抱え込むタイプです。こうあるべきという考えを持っていても、それを言えず、自分を責める時も多く、葛藤に悩まされます。また客観性よりも主観性が強い為、人間関係も苦労します。」との論評が載っています。う~ん、どうですかねえ。当たっているようでもあり、ちょっと違うようでもあり……(当たってへんで『自分に厳しい』て、大アマやん「やなあ。最近はあんまり他人にも厳しくないしな」)。
まあちょっとした、ひつまぶし、あ、ちゃうひまつぶしにご興味のある方はやってみてください。http://www.ops.dti.ne.jp/~iwh/kokoro/ta.htm

さて私の夜の友をご紹介します。無骨ですが、なかなか重いやつです(訳わからんな、相変わらず)。12kgです。ず~っと15だと思ってました。思ったより軽いやつです(ますます訳わからんぞ)。去年は走るのと本を読むのとでついさぼりました。おかげで、違う、そのせいで腕、胸の筋肉が落ちました。ひさびさにダンベルを持つとその重いこと。やはり「継続は力なり」ですよ。なんでもいっしょ。続けねば成果はありません。勉強もいっしょやし、みんながんばってほしいな……。やったらやっただけの結果は絶対出るもんな。(あんた、そのセリフ自分に言うてんにゃな「そやで」ほならやることしいや「やるよ」)

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今日はさぶかったですね。「さぶかった」といえばおもしろい話があります。「寒い」にふりがなをうちなさい、という問題に「さぶい」と書いて当然と思っていた生徒がいました。そう何人もね。でも普段そう言うてるんやし無理もないですよね。あと「来ない(こない)」に「きない」とやってしまうのも京都ならではでしょう。「きいひん」と言いますもんね、いつも。
で、寒い写真です。

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ちょっとインパクトあるでしょ。京都市は北区原谷でのそれであります。明日の朝も「さぶい」そうです。みなさまご自愛ください。特に受験生は風邪をひかぬようにね。俺もひいたらシャレにならないので用心してます。手洗い、うがいは必須です。
おやすみなさい。

俺もやるし、みんなもやってや

2009年01月14日

今日はいつもの塾の集まりでちょっとした心理学のお勉強。その中で印象に残ったことばはこれ。
「12歳くらいで自我が確立した子を変えることは無理」です。となると私たちが相手にしている中心は中高生。いくら働きかけても変えられないとなると、やっていることは無駄? いや実はそうではなくて
「本人が気づくしかない」とのことです。そうつまり、自分を変えるためには自分がそうしたいと思い、やるしかないようです。
これは大人でも同じです。自分で変わろうと思い、なりたい自分になるべく努力しないといけないのでしょう。話を子どもに戻すと、われわれが彼らにしてやれることは、それに気づくように動機付けをしてやることなんでしょうか。難しいですね。自分のことだってろくにできていない人には。(誰のこと? 「俺に決まってるやん」そやね)
朝、会合へ向かおうと車に乗り込み、エンジンスタート。すると9時だというのに0度の表示。
「うへ、寒!」徐々に西大路を下がります。今出川で1度になり、御池で2度、五条を過ぎると3度でした。よく言われることですが、京都は北と南ではずいぶんその温度が違います。雪だって今出川でふえ、北大路いま一つふえます。西賀茂や原谷で降っていても伏見や南区では道路は湿ってもいないということがよくあるようです。

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ということで(どういうことで?)うっすら淡く雪化粧の比叡山です。あんまり印象的な写真ではありませんね。昨日撮ればよかったです。そう、写真は思ったそのとき、見たその瞬間をとらえなければいけません。これは写真に限りません。
「あのときああしておけば」と思っても、もう絶対その機会は訪れません。いつも悔いばかり残して生きてきたツユちゃん。今後は少しでもそれを減らさにゃね。(いんや、あんたはこのまま変わらんやろ「んなことない。『本人が気づくしかない』気づいて変えようとしたら、変わんねん」はいはい『変えようとしたらね』。果たしてあんたにできんのかな?)
すみません。いつもの調子です。
自分ができないことを他人に強いることはできませんから、せいぜい俺も努力します。そやし、みんなも「気づいて」がんばってな。特に受験生諸君はね。もうすぐ本番やで。自分がやるしかないしな。俺もそう、俺が自分でやるしかないねん。

相も変わらずです

2009年01月13日

寒い日が続きます。今朝鴨川を走ると水たまりが完全に凍っていました。予報では氷点下でしたから、さもありなんですよね。汗があまり出なかったのは、距離が短かったからだけではないでしょう。
私の子どもの頃はもっと寒かったような気がします。5年生まで過ごした兵庫県の伊丹でも毎朝のように氷が張っていたような……記憶違いかな。でも少なくとも今よりは氷や霜柱にお目にかかったように思います。今の俺が朝遅いからかな、単に。いや霜柱が顔を出したくても、出せる土がないからかもね。
今のように蛇口をひねれば当たり前にお湯が出て、スウィッチひとつで温風が吹き出すわけではなかった昔。それでもそれが普通というか、それ以外が考えられなかったからか、なんの不便も不快も感じませんでした。風呂だって毎日は入らなかったような。お湯だって毎日換えなかったような。夏の暑いときはどうしてたんだっけな。行水か。
暖房器具は何だっけ。行火(あんか「こんな字書くんや。知らんかった)というのがあったな、外側は木製で中が土を固めたものだった。火鉢もだ。「股火鉢よくぞ男に生まれけり」というのもあったぞ(ちゃんとパソコンは変換するな、文明の利器だ)。練炭、湯たんぽ、孔雀のマークの入ったハッキン懐炉(確か「これも言いえて妙というか、書いて妙なすばらしき漢字文化を感じますね『それってひょっとしてしゃれのつもり』)というのもあったな。今みたいに使い捨てカイロはないからね。油を染み込ませたものになんらかの仕掛けで火がじわじわ燃えてあったかいんですよね。どんなからくりだったんでしょう。炬燵はずいぶん新しいけど、今みたいに電気になったのはいつだっけな。昔は豆炭を練炭かなんかで火を起こして(火をつけるという意味です)、容器に入れて、今の炬燵のあったかくなる部分に取り付けました。ここまで書いて、読んでいただいている方で
「あった、あった、それあった」とか
「俺(私)も使った。懐かしい」と思う方は間違いなく50歳前後の方でありましょう。どうです? 懐かしいですか。
毎夜のごとくなんの益もない与太話です。今年は少しは真面目なことを書こうと宣言したんですが、だめですね。明日から心がけます。おやすみなさい。

新成人のみなさん、おめでとう

2009年01月12日

軽トラを運転しながら
「なんや今日はえらいきれいな着物着た若い女の人が多いなあ」と思いました。はたと気づきました。成人式です。しかも自分も20歳。バイトに追われ完全に忘れてました。まあどちらにしても生活費をかせぐに必死でしたから、出席する余裕、つもりはありませんでした。
「みんなきれいなカッコして、楽しそうにしてるのに、俺だけなんで……」と恵まれない自分の境遇を嘆く気は、まったくありませんでした(ひねくれとんな)。30年以上も前の話になります。

新成人のみなさんにはおめでとうございます、を申し上げます。きっとそれぞれに大人になって思うこともあるでしょう。今のその思いを大切に生きていってくださいね。なかなか思うようにならないこともいっぱいあります。いや、その方が多いでしょう。でもいいでしょう。若いうちは失敗もして、辛いめや苦しいめにもあっても、やり直せばいいですから。俺の年ではやり直しはきかないかもしれませんが、それでもやるだけはやろうと思ってます(ほんまにやりや)。

二女が成人しました。右が娘です。左は彼女の友人でもあり、私の教え子でもあるMさん。二人ともすてきな大人になりました。いい笑顔です。若いということはそれだけで美かな。

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20歳になれば、おおっぴらにアルコールが飲めます。あまり飲みすぎないように度をわきまえましょう(あんたに言われとうないな)。酒といえば、レスリングの伊調姉妹が某キリンビールの広告にお父上とともに出演していますよね。あれいいですね。おやじと娘が酒を酌み交わす。もちろん息子とおやじでもいいんです。俺できなかったしなあ。
「早(はよ)、ようなって努といっぱいやらなあかんなあ」がんで余命いくばくもないという告知を俺と母親だけが聞いていたころおやじがもらした言葉です。
「そやなあ」と答えつつ、涙があふれるのを気取られまいと、病院の屋上へあがりました。
悔いてもやり直せなこともあります。やれるときにやりたいことをやるのも大切でしょう。やってあげられることもね。

痛み体験⑤

2009年01月11日

西賀茂から原谷への移動途中
「はら減ったな」と思い、たまに寄るパン屋へ。おばあちゃんが店番です。かなりのお年でレジもあやしいんです。今日はレジは無人。そのうち気付いて出てくるだろうとハムステーキサンドを購入。来ない。
「すんません」3回。来ない。調理場というか、裏を覗くとおばあちゃんが頭をテーブルにつけてつっぷしています。
「えっ、まじ? 救急車? 勘弁して、動いてや」と思いつつ、こわごわ声をかけます。
「すんません。すんません。すみません……」
「あ、はい」
「よかった~。生きてた」パンの値段は210円。なんとか小銭があればと思うもなし。仕方なく1000円札。パンの値段も3回言ってやっと通じ、お釣りで手こずりました。790円もらわなあかんのに、おばあちゃんが100円玉と10円玉を間違わはって、700円しかない。急いでるし、まあええか、いやあかん。ちゃんとせな。といちいちばあちゃんに説明。やっと片づけて店を出ました。119を呼ばんでよかった~。

では、お待ちかね(誰も待ってへん)、昨日の続きです。
で、その当日。夏の日ですね。暑かった覚えがあります。手術室は冷房が効きすぎ、冷えてました。
「では、麻酔を打ちますね」
「はい」
「今日は珍しいものを見られるので私もごいっしょさせていただきます」と大先生。主治医の先生は私と同年輩。そのお父上が介添え(?)をなさいます。チクリと麻酔。
「では、開きます」メスが皮膚をツツーっと走ります。開いた瞬間お二人が声をそろえて
「おおー」
「ええ、何が『おおー』なん?いったいどうしたん」と思いますよね。
「これはすごいな」と大先生。
「ですね。かなりですね」と小先生。
「のみと金づちを持って来るわ」と大先生。
「のみと金づち? いったいなんなん?」と俺は思います。
「長い年月のうちに骨が育って、金具にかぶってますので、削らないととれないようです。骨を削りますね」
「あ、はい。(鎖骨を、俺の骨をのみで削んねや。ほんまかいな)」とは言ったものの、いったいこの後どうなんのかなと不安いっぱいです。そこへ大先生がのみと金づち(もちろん医療用だ思います)を持って再登場。
「それではやらせてもらいます。ちょっと響きますし、痛かったら言ってくださいね」といきなりガーンときました。麻酔が効いているから痛くはないものの、やはり自分の骨をのみで削られていると思うと……形容しがたい衝撃があります。看護師さん(女性)もさすがにあまり目にしない光景なのかこわごわ声をかけてくれます。
「だいじょうぶですか」
「あ、はい」とは言うもののかなりの打撃感があります。
「カン」
「ウ」
「カン」
「ウ」
「ガン」
「ヴッ」
「1時間の予定で麻酔をしてますので、切れて痛み出したら言ってくださいね」
「はい(えッ、麻酔切れんの。いややなあ)」そのうちほんとに痛みが感じられ
「先生、ちょっと痛いんですが」
「あ、そうですか。では、麻酔を打ちますね」
「はい、お願いします」もうすでに汗だくでしたね。冷房の冷えなんてなんのその。脂汗、冷や汗だくだく。つゆだくの牛丼でした。
やっとのおもいで私の体内から出た金具、先生が
「どうします? こちらで処分しますか、それともお持ち帰りになりますか」
「せっかくですし、わが体内に長くあったやつだしもらって帰りますね」と持ち帰り、それ以来お守りよろしくキーホルダーに付けています。
これで痛み体験すべてお披露目でしょうかね。またあれば公開させていただきます。
では、また。

痛み体験④

2009年01月10日

寒いですね。朝はけっこう積もっていたような。帰りも降り、積もり始めました。
雪と言ってまず浮かぶのは荻原井泉水の
「わらやふる雪つもる」かな。藁屋根に降り積む雪。ただただ降り積もります。音はしませんが、しんしんと、ふわふわとまるで音がつたわってくるかのように、降り積みます。その雪の情景が目に浮かびませんか。白と黒だけの世界。好きですね。この間行った白川郷が蘇ります。彼は心に何を思い、この句を詠んだのでしょうか。
「これがまあ終(つい)の栖(すみか)か雪五尺」これも哀愁ただよう名句ですね。一茶です。自分の生を終えるのはこの雪にうもれた侘しい住まいなのか……という切なさが胸に迫ります。その生涯はあまり順風満帆とは言えなかったよう。その恵まれなさが、小さき者への愛を詠んだ多くの句に収束したんでしょう。自分の生きてきた道を省みていたのでしょう。

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原谷帰りに車のフロントガラスに降り積んだ雪を撮りました。まだ序の口です。

さて「痛い」の極めつけにいきましょうか。
遡ること何年でしょう。かれこれ5年くらい前になるのかな。神戸出張で会合を終え、食事中にある塾の先生が
「露原先生。右の肩んとこなんか染みついてますよ」
「あ、ほんまや。醤油でもこぼしたんかな」とその日は特に確かめもせず寝ました。帰ってよくよく見ると血です。
「ん、なんや」と思いつつ、知り合いの外科を訪ねました。検査の結果。小3のときに折った鎖骨(痛み体験②を参照ください)の金具からの出血です。
お医者さん曰く。
「当時の金具は…製(金属の名前ですが、記憶不鮮明)ですから、発がん性があります。早くとった方がいいですよ」
「とるということは手術ですか」
「そうなりますね」
「う~ん、ん、ん」
「いつがいいですか」
「忙しいので、こことこことこの辺で」
「では、〇月〇日で」
「はい」と有無を言わせず、いやけっこう有無を言いましたが、手術をすることになってしまいました。(前ふり長いなあ。まだ本題に入らへんの? 眠いわ「いやこれでもだいぶはしょってんねやけど」あ、そう)しゃべりやともっと早いんでしょうが、なにぶん俺の文章力。自分でもまだるっこしいです。ですから圧巻は明日のお楽しみということにしましょうか。

これが私の体内に入ってました、30年以上。

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痛み体験③

2009年01月09日

朝から勉強会。四条烏丸へ出かけました。自転車で行くか、車か、はたまた公共交通機関か迷いましたが、パラパラ降ってもいたし、駐車場代ももったいないので地下鉄で。
帰りの地下鉄構内で、若いお兄さんに声をかけられました。アメリカンエクスプレスのクレジットカードの勧誘でした。
「俺って隙があんのかなあ? それとも『こいつは断れないやつだな』と見透かされてんのかなあ」と思った一日でした(えらい短い日やなあ。もう終わりかい)。いえ、まだ今少しお付き合いあれ。
痛いの3日目です。
頭の7針は交通事故です。一旦停止不履行、無灯火の2トン車が横から出てきてハンドルを切りましたが、避けきれずぶつかりました。相馬病院へ救急車で運ばれ、髪の毛を剃られ縫われました。看護婦(今は看護師ですね)さんたちが、冷静にというか、必要以上にへらへらしていいたのが印象に残ります。彼女らにとったら、どってことないけがなんでしょう。こっちはけっこう痛かったんですがね。医師が勧める入院を丁重にお断りして(いや、実は無理やり。『病院嫌いやし』)帰宅しました。
これは最近。といっても2年前か。手指の爪とその、なんていうんでしょ、指本体の間に思わず「ぴっと」むしりたくなるやつができるでしょ、さかむけみたいな。それを文字通り「ぴっと」やったら、血が出て(ここまでは普通にあるんですが)、翌日腫れました。
「そのうち治るやろ」と安易に考えていましたが、治らない。そのうち腫れが広がり疼きます。病院嫌いの俺もさすがに尋常ではない腫れに覚悟を決めました。
「う~ん。いわゆるヒョウソウですね」
「きた。話にだけは聞いたことがあるあれか」そう正確には爪囲炎(ひょういえん)というそうです。お医者さんいわく
「指先やし、麻酔の痛みもメスの痛みも同じやし、そのまま切りましょう。〇〇さん、メス」
「え、そのまま……」(心の声)いだがっだ、かなり。脂汗がしたたりましたね。それ以来絶対むしりません。あの痛みはもうこりごりです。
ということで2時を回りました。まだありますが寝んとあかんわ。明日もいろいろあるしね。
筋トレをごく軽くやってやすませていただきますね。

痛み体験②

2009年01月08日

向う脛の骨を折ったのはまだ学校へあがる前でしたね。(お、なんや。いきなり来たか)なんか母親と買い物に行っておしっこがしたくなり、道を横切ったところにある空き地で用をたしました。で、道(道路ではありません)を横切りもどる途中に風船のようなものが落ちていました。それを取りにもどったときにトラック(と親は言ってました)にはねられました。結果右足脛を折りました。その運転手のお兄ちゃんがお見舞いに来てくれた記憶があります。
鎖骨を折ったのは小3の夏休みです。いちびりの俺は学校プールのシャワーを使い、雲梯よろしく遊んでいました。ぬれた手が滑り、落下。小3だし背も低いからかなりの衝撃だったと思います(ほんまかいな。覚えてんのか?)。で、そのままPTAの人(だと思う。先生かな? いや当時先生で車を持った人はいなかった)の車(救急車ではなかった)で病院に運ばれ、即手術。局部麻酔だったので目隠しの向こうにドリルが回るのがわかりました。そのときは麻酔で意識も朦朧としてましたが、終わってからそれが切れた夜の疼痛(いや激痛かな)は思い出してもぞっとします。
それにしても自分の痛みを字面に表すのは難しいです。これが「しゃべり」やったらもっと生き生きと表現できる自信はあるんですが。(はいはい、言うとき)
それにしても、よくもこれだけ愚にもつかぬことを滔々と(いやこれは弁舌巧みなさまやし違うな。「だらだらと」がふさわしいな)書きつづりますね。
お後もよろしいようですし、③はまた明日以降のお楽しみということにさせていただきます。(だあれも楽しみにしてるとは思えへんけどな)
あっ、筋トレ忘れてた。ちょっとだけでもせんとな。あ~しんど。よ~やるわ。おやすみやす。

痛み体験①

2009年01月07日

またもや自分のオヤジぶりの暴露ですが、歯が傷んでます。以前にちょっとしたことが原因で、(応急)処置をしてもらったのですが、そのときの「とめ」が正月にとれ、ぐらぐら。噛み合わせのせいで舌をかんだり、歯茎が少し痛んだりです。年はとりたくありませんね。今日重松清さんの『オヤジの細道』という随筆を読み終えましたが、氏も同様のことを書いていらっしゃいます。
「まず、歯にきて、目にきて……」と。彼は私よりは7つ8つ下です。44歳くらいで目に先にきたようですね。さて私はどっちが先だったかな。
といっても私の歯は高2の体育、空中回転でひざ蹴りを自分でくらわして歯槽骨骨折をしたそれです。歯ぐきをワイヤーで縫ってかろうじてその命を保った歯です。そのとき歯医者さんに
「もっても5、6年かな」と言われていたので、よくここまでもったものです。まあしかしいい機会なので、歯医者さんへ行って徹底的に治療すべきなのかもしれません。でも嫌いなんですよね。
昔ひどい目にあったんです。あの「キーン」というやつが、もし歯医者さんの手が滑って歯茎に当たったらと想像したことがありませんか。それがあったんです。私の口中でね。血は飛び散るは、激痛が走るはでたいへんでした。
痛み体験はけっこういろいろあります。向う脛の骨を折ったり、鎖骨を折ったり、頭を切って七針縫ったり、麻酔なしで指をメスで切られたり、胎内に30年以上あった金具をのみとハンマーで削って取られたりとかね……。今日はもう遅いので、明日以降シリーズでお披露目しましょう。
ではおやすみなさいませ。

おめでとう、ありがとう

2009年01月06日

高3の、指定校で関大に決まったM君が顔を見せてくれました。まだ何も決まっていないK君とともに。(おめでとう、よかったね。ちなみに浪人中だった彼のお兄ちゃんも一つ決めたそうです。K君もがんばりや)道で出会ってあいさつをした程度のことはありましたが、じっくり顔を見たのは3年ぶりかな。うれしいですね、元気な姿を目にすると。写真を撮らせてもらってここに掲載をと思いましたが、授業の合間で時間がなかったです(残念)。
年末から年始にかけていろいろいただきものがありました。暮れには洋菓子詰め合わせや、おいしいあられ、お煎餅にすぐき。明けてからはバイトさんの里帰りの土産や生徒の旅行のそれ。ありがとうございます。今日も生徒のMさんから和歌山のお土産をいただきました。お心づくしに感謝しつつ、みんなでおいしくよばれています。ありがとうございます。

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ほんの少しの心遣いが他者をよい気持ちにさせてくれます。その逆もあります。自分の言動に気をつけながら日々過ごさなければいけませんね。今でも後悔するシーンが目に浮かびます。言うべきでなくを言ってしまったり、やらざるがよきことをやってしまったり……ね。
せめて今後の人生、そういうことがないように心しましょう。

お年玉

2009年01月05日

年始最初の授業。お年玉の話題で盛り上がります。私も大学生まではもらっていましたね。親戚が多いのでかなりいただきました。記憶だと13万円もらったときもあったような……その代わり自分が、16人いるいとこの頭。仕事についた後は小さないとこ連中や母親、ばあちゃんにお年玉をあげるのに毎年10~15万くらいを用意しました。おじ、おばに返せない分、少しでも返さなきゃいけないと思ってね。ばあちゃん泣いて喜んでくれた。俺もうれしかった。かなり無理しました。(ええかっこしいやしな、あんた「ですね」)ばあちゃんも母も亡くなり、疎遠になりました。みんな元気かな。
正月の小旅行で年老いたじいじ、ばあば(「じじい、ばばあ」ではありませんよ)を連れた家族をよく目にしました。
「みんな、えらいな。親孝行やな」と感じました。おやじは退職目前にガンで入院。一度は職場復帰したものの、再発。あえなくこの世を去りました。一生懸命働いてきて、これからちょっとゆっくり楽しみながら生きられるかなと考えていたでしょう、きっと。思えば気の毒ですね。ゆっくり俺と酒を酌み交わすこともなく死にました。いろいろ俺に言いたいこともあったんちゃうかな……。俺も大人どうしで話をしたかったな。こわいおやじやったし、居心地はよくないと想像できますがね。
母親もおやじの死後しばらくはがんばってやってましたが、出勤時に事故に遭いました。その後入退院を繰り返し、親不孝な長男に悶々としながらベッドに横たわっていたのでしょう。二人とももう少し生きていれば、俺も真似ごとくらいはできたのかなあと思います。
「親孝行したいときには親はなし」まさしくそのことわざを地で行ってますね。なんか今日は暗い話になってしまいました。すみません。ことさら何かがあったわけでもないんです。ただこの話になってから、つい後悔が先に立ち、親を思いました。口応えしたり、ろくな息子でなかったなとね。
みなさまもいろいろな境遇で生きていらっしゃるでしょう。死んで花実が咲くものか、生きていればこその幸せを感じつつ毎日を過ごしましょう。

とんだご無礼でありました

2009年01月04日

つまらない旅行記を書くことに気をとられ、新年のごあいさつをするのを忘れていました。とんだことでご無礼いたしました。改めてここでごあいさつ申し上げます。
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。(まぬけなやっちゃな、ほんまに「反省してます」)
新年にあたり、所信表明演説でもやるべきなんでしょうか。(それは麻生さんやで「やな」)今年の目標を宣言しなければいけませんかね。まだ固まっていないのです。年間1,200㌔、100冊は今年もやろうと思っていますが、しんどい……です。特に読書は数にこだわったそれになってしまった感もあり、やや反省。月5冊、年60冊くらいにして、質を高めることも考えます。ま、しかし、やっぱやりましょう。
それらをやったところでなんの益もなく、単なる自己満足以外のなにものでもありません。もうちょっと人の役に立つことや、仕事に活かせること、自分のためになることをやるべきなんでしょう。酒を控えるとか、タバコをやめるとか、早寝早起きを心がけるとかね。(指が滑って、できひんことを書くなよ「ありがと。心するよ」と言うかあ……。それって全然人のためになってへんで。極私的なことやで「そやなあ。今俺も気づいた」はいはい、あんたらしいな)
年間1,200㌔、100冊はやります(心がけます「おっ、ちょっと低調やな」)。加えて毎日筋トレを欠かさぬようにします。あ、それと原則毎日ブログを更新するようにします。これでいいかな。これくらいにしておきましょう。ちなみに一応三が日筋トレはしたな。腕立て伏せを5~40です。
今日は日曜日ですが、中3の模擬テストをやりました。これをもって冬期講習は終了。明日から平常授業です。また新しい年が始まります。やるべきをやり、いい年にしましょう。

眠い、です

2009年01月03日

箱根駅伝で東洋大が初優勝しましたね。おめでとうございます。感動もんの勝利だったようです。それよりなにより用事の合い間ふと画面を見て驚きました。日大の井上なんとか君が私の母校、釧路湖陵高校出身だったんです。今までテレビ報道で見たことなんてそうないし、なんかとってもうれしかったです。その昔、三菱本社ビルを爆破した左翼のDとか、たぶんどなたもご存じない歌手の及川恒平さんと1956年、日ソ共同宣言の年に生まれたツユちゃんくらいかな有名なんは(ハイハイ。あんたは無名やろ)。

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無謀にも天神さんへ行ってきました。今行ったらあかんやろう、という時間帯をぎりぎりはずそうと考え行ったんですが、天神さん恐るべしでした。流れにまかせたら、きっと数時間駐車待ちでした。回避して時間貸し駐車場にもぐりこみ、なんとか参拝。破魔矢(天神さんで「天神矢」というようです)を3本と車のお守りを買いました。
で、疲れたけん寝ますね。

また明日です、ね。

2009年01月02日

白川郷を訪ねました。せっかく岐阜まで来たので世界遺産をと思って。3日間とも降り続く雪で道路状況は悪くて、内心こわごわの道中でした。昨日雪道は完全征服したつもりだったんですが、慎重に走りました。慢心は禁物ですからね。
目的地にやっと着いたと、ほっとして電光の表示を見ると『合掌造りの集落内は混雑しています』とのこと。
「え~、まさか。大丈夫だろ」と進むと、ほんとに車がいっぱい、人もぞろぞろ。おまけに雪が激しく降りしきります。スキー場以外でこれほどの雪の中を歩くのはひさびさ、でした。寒かった~。

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帰路、欲張って岐阜城を訪れました。30年くらい前かなあ、姿は見えども、行きつけぬまま帰りました。今日はやっとその姿を目にしました。でも~、ロープウェイの下に着いたのは4:05。上に着いたのは4:20。とりあえず、金華山に登っただけでした。でも満足でした。

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ということで(どういうことかな?)やすみますね。おやすみなちゃい。