光陰矢の如し

2009年06月03日

近所のスーパーでお昼を買って戻る途中、前から野球部らしき人がランニング。すれ違いつつ顔をちらっと見ると元ゼミ生のY・Rくん。
「おお、久しぶり。今どうしてるんだ。いくつになった」
「大学1年生です」
「R大やね。野球やってんねや。たいへんやろ、大学で野球やろ思たら」
「はい、レベル高いし」
「そやろな。あなたの学年は他に誰がいたかな。KくんとかUくんやな」
「あとYとかもいました」
「あ、そやな。この間遊びに来たわ。ま。野球がんばりや」
「はい、ありがとうございます」という会話を交わして別れました。
月日がたつのは早いものです。

夕方、小1の生徒を迎えに来たお父さん
「せんせ、この間アルバムの整理してたら、俺が中3のとき、どっかキャンプ行ったやんか。そのときの写真が出てきたで」
「ああ、大黒谷やな」
「何年前やろ」
「20数年前やな」
「せんせ、顔も体形も今といっしょやで」(でました。変わってない攻撃。当時から今と同じように老けてたちゅうことやな)
「いや、んなことない。腹でた」この子は3期生。20年以上前の生徒です。間もなく40歳。すっかりお父さんになっています。
月日がたつのは早いものです。

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先日所用あって兵庫方面へ出かけた折り(新型インフルエンザの本拠やのによう行くね「俺くらいの歳の人は免疫があってかからへんね」)何を思ったか、伊丹を訪ねました。自分の通った小学校がまだあるのかを確認しようと思いまして(酔狂、暇やね)。
ナビに名前を入れるとありました。住宅地の中で昔のままに建っていました。校舎や植え込みの位置もそのままです。(あれ、でも震災で被災しなかったのかな)ま、でもぱっと見や位置は間違いなく変わっていません。ほんの数分の滞在でしたが、いろいろなことが脳裏をよぎりました。
父親の転勤で北海道へ引っ越すまで、生まれてから小5までずっと住んでいた町です。大学生のとき一度訪ねて以来ですので24年ぶりです。学校以外はすっかり変わっていましたね。昔遊んだ空き地や悪さをした田畑は無くなり、住宅が密集しています。それは当然ですよね。
月日のたつのは早いものです。

52歳。長く生きさせていただきました。半世紀を超えました。
26年。長くやらせていただきました。四半世紀を超えました。
この後いかほど生かせていただけるかはわかりませんが、同じ生きるなら楽しく、精一杯生きていきましょう。