ひげの是非

2010年03月26日

京都新聞の「凡語」欄(25日)にとあるフランス人の話が載っています。なんでも「フランス人は次の休みに何をしようかと、いつも頭の中で考えています。人生は短いです。仕事だけでなくいっぱいいろんなことをしたい。仕事と休みをバランスよく」とのこと。
確かに一理あります。もちろん仕事あっての遊び、休みでしょう。今日のように希望しても定職にさえつけず苦労をしていたり、不景気で遊びのことなんて考えていられなかったり、遊びたくても先立つものがなかったりということも現実です。
ただ私くらいの年齢になると「また今度」と思ってもその今度がないことも考えられます。事実私の父親なんぞは「さあ間もなく定年、いろいろ楽しむぞ」と考えていたであろう矢先に癌が見つかり入院手術。一度は退院したものの、けっきょく再発してこの世を去りました。
私だっていつ心臓や血管の病気で倒れないとも限りません。物騒な世の中ですから、道を歩いていて突然刺され他界というのもなくはないでしょう。そんなことを思えば、やれることを今やっておくべきの感は否めませんね。
それができる環境を整えるべくまずは日日の仕事をがんばりましょう。いや常にそれは心がけていますが、さらにですね。結果がでなければそれはただの徒労ですから。

「ヒゲで減給不当 神戸地裁 郵便会社に賠償命令」と讀賣新聞に。なんでも「身だしなみ基準」というのが郵便事業会社灘支店にあるらしく「ひげや長髪は不可にしており人事評価は正当」との主張をしていたようです。それに対し裁判長は「原告のひげは整えられており、基準が禁止するひげには該当しない」との判断を下したようです。
確かにただ伸ばしただけのひげは不快感を与える場合もあるでしょうから、私も気をつけねばと思います。
ひげは気弱さの裏返しかなとも思います。まさしくそうかなと感じます。俺気ぃ弱いもんな。
昔はひげはどこか半端もんの印象がありましたね。芸術家かもしくは……関係の方々の専売特許だったように思います。昔はひげの人を見るとなんかおっかなかった覚えがあります。反面なんか「かっこええな」とも思いました。そのひげをまさか自分が生やそうとは思いもしませんでした。もうだいぶの付き合いになりますね。20年近いかな。生来濃い方ではないのでカビのようなそれですが、ね。

ひげの是非はともかく。まあそれそのものは今は昔ほどではなく市民権を得ましたね。と勝手に思いつつやすませていただきましょう。