臓器移植

2010年08月10日

意思書面なしの家族承諾による初めての臓器提供が行われたようです。「脳死」を人の死ととらえるのかどうかは難しいことで私にはわかりません。ただ心臓が動いていれば体はまだ温かいですよね。臓器を取り出すということは、その温かさを我が手で奪うわけです。果たして俺が医師としてそのメスをふるえるでしょうか。提供者の家族の立場になってその決断ができるでしょうか。
提供を受けることで長らえる生を与えられる患者さんやその家族の喜び、希望は大きいでしょう。一方で愛する家族を失うという悲嘆の底で提供を決断された家族の心中を思うと複雑です。
身近な人が亡くなりその体が切り刻まれ、臓器が摘出される。その思いやいかに。単に死んでしまった物体とは考えにくいでしょうね。その人それぞれの死生観にもつながることなんでしょう、きっと。

私はすべて臓器提供可で、免許証に貼った紙に〇をつけています。娘や家人が反対した場合どうなるんですかね。というか脳死判定はなされたものの、実は本人に医師がわからぬ意識があって、その中、臓器が摘出されるなんてことになったら恐怖ですね。というか耐えがたい苦痛ではすまされません。医学的、科学的にはあり得ないことなんでしょうが、怖いな。小説になりそうなネタやな。もう誰か書いてはるやろか。書いてなかったら俺がそのネタで文壇に登場しょうかな(あかん、あかん。まじめな話が横道それた)。

さて講習前半が、というか大半が終わりました。明日からお盆休みです。ちょっとゆっくりさせていただきましょうか。