『その日のまえに』

2011年02月25日

郵便局へ行って、ほんの気持ちだけ募金してきました。なんか「かっこつけ」みたい(実際そうかも)でちょっと恥ずかしかったです。私も余裕綽々の生活を送っているわけではありません。けっして大金ではありませんが正直痛い面もあります。まあ独りでミューズへ数回行ったことにしておきましょう。今朝の京都新聞にも「義援金受付」の記事が載っていました。私一人の募金では屁のつっぱり(すみません。下品な言い回しで)にもなりませんが、みんなが少しずつでも協力すれば大きな役に立つでしょう。善意の広がりに期待したいです。

それにしても志半ばで自分に何が起こったのかもわからぬまま命を落とされた人たちの無念さを思うと目が潤んできます。いまだ消息もわからぬ被災者のご家族の気持ちを推し量ると胸が痛みます。
私には万が一の奇跡を信じて無事を祈るくらいのことしかできません。「72時間」はとうに過ぎたとはいえ何とか生還してくれる人がいてほしいものです。

重松清さんの『その日のまえに』を読みました。7編からなる、愛する人の不治の病と死が主題の重い連作短編集です。必要以上に感情移入されることなく淡々とした調子で物語は進行します。タイトルと同じ『その日のまえに』と『その日』は恥ずかしながら涙があふれることを抑えられませんでした。いい年をした親父が小説を読んで泣くのは格好悪いんですが、仕方ありません。

「生きること」「死ぬこと」「逝く側」「残される側」のことを考えさせられた作品でした。我が父や母がどんな思いでこの世を去っていったか考えさせられました。当時の自分はまだ若く、そこまで思いを馳せることはできませんでした。親を失い悲しいという自分の側だけの感情しかなかったと思います。
46という若さで明日を奪われた父親はさぞや無念だったと今だから思えます。交通事故が引き金になり、亡くなる前の数年間は入退院を繰り返した母親の苦しさを今少し理解してやるべきだったと痛恨の思いがよみがえります。
悔いはあります。
「もうちょっと大事にしたったらよかったな」とね。みなさんも親御さんを大切にしてあげてくださいね。

閑話休題。連作短編といいながら後半はつながっていましたが、前半とは「どこでどうつながんの?」と思い、よく読むと「んっむ、そうか。こうきたか」とみるみる糸が紡がれていきます。見事です。鮮やかです。さすがの重松さんですね。人相風体はかなりいかついおっさんです、彼は。いかにしてかくも繊細な物語が生み出されるんでしょう。すばらしいです。

世界は大変な局面を迎えているようです。対岸の火事を決め込むことなく真面目に考えるべきを考えなければいけませんね。
世界だけではなく、身の回りのことも真剣に考えなければいけません。

自分にとっての「その日」についても、ね。