2011年03月31日

あたたかい一日でした。春が来たんでしょうか。ゼミのパンジーが満開です。

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姿は見えませんがそここで花の香りが漂ってきます。

そう人の営みとは関わりなく時は流れ季節は移ります。だれにでも公平にあたたかな春は巡ってきます。
簡単ではないことは明らかですが、東北の方々にも必ずやいつか本当の「春」が訪れます。私にはたいした協力はできませんが、やれることをやらせていただきます。共にがんばりましょう。(被災されたみなさんのことを思うと私なんかがおいそれと口にできる言葉ではありませんね。すみません)

人は人に対してこんなにも優しくなれるのかということをあの日以来実感させられています。反面悲しい知らせも伝わってきます。人の悲しい性を感じざるをえません。みんながみんな他人に今少し優しくなれればもっともっと住みよい世ができるんでしょう。小さなことしかできませんが私ひとりだけでも心がけましょう。そしてそれをせめて自分の回りの人たちだけにでも伝えていけるようやらせていただきます。

初つばめ

2011年03月30日

文部科学省が2012年度からの中学新教科書の検定結果を発表しました。それによると全教科の平均ページ数が現行と比べて25%ふえ、理科と数学はそれぞれ45%と33%も多くなるそうです。
3年理科でイオンが復活。2次方程式の解の公式も3年数学で再登場です。授業時間はそれに比例してふえるわけではないでしょうから生徒諸君は大変です。塾としてもその対策を考えていかなければいけません。

この4月からは小学校の教科書がひと足早く改訂され120~140%の増量になっています。しかと気合を入れてかからねばなりませんね。少なくともうちに来てくれている子どもたちにはしっかりやってもらいましょう。

「ゆとり」から一転、みんな大きな負担を強いられます。まあしかし昔に戻ったと思えばいいんでしょう。生徒たちのためにはその方がいいのかもしれません。

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今日ツバメがゼミの去年の巣に偵察に来ていました。こんなに早い訪問は史上初です。こんなに早く彼らは日本に来ているんですね。春の訪れです。今年もかわいいヒナの姿を見られるといいですね。

「初つばめ 親子に 友のきている日」という句があったような気がします。

では。

新旧交代

2011年03月29日

東北地方太平洋沖地震復興を支援するため日本代表対Jリーグの慈善試合で44歳、三浦知良選手が見事にゴールを決めましたね。
すばらしいです。
斉藤佑樹くん並に「持って」いるんじゃないでしょうか。久々の「カズダンス」も拝見できました。若い方はそれをご存じないでしょう。昔は「ちゃらけたやつだ」と思いましたが、今は彼のサッカーへかける情熱を報道などで知っていますから大きな拍手を送ります。
確か彼は中学を出てサッカーのために単身ブラジルへ渡ったと記憶しています。その熱い思いをいまだに持ち続けて日日精進を積む姿に感動をおぼえます。

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長く使ったEMOBILEからWiFiという端末に替えました。前者に特に大きな問題はなかったのですが、低額プランのお知らせがきたのをきっかけに見直しを考えていたところに後者の営業がありました。紆余曲折がありつつもかなりの節約になるので乗り換えました。めんどくさいことは苦手であまりやることではないんですが「実」をとりました。右が新しい端末で左が前のそれです。7年くらい愛用したので名残惜しいんですが、またご縁があればお会いしましょう。

新旧交代でしょうか。

新しいものは機能が優れています。驚くような発展を感じることがあります。
古いものはある意味見劣りします。でも手や身体に馴染んだ愛着があります。

どちらがいいんでしょうか。
考えつつやすませていただきます。(まだ200をやっていないので今からやります。しんどいぞ)

教訓

2011年03月28日

自転車の日でした。帰りは寒かったのでハンフリーボガードのように(古!「そやね。私もあんまり知りません」)かっこよくトレンチコートを羽織り、さっそうと自転車にまたがりました(かっこ悪!)。うそです。そんなコートは持っていません。それがどんなだかも知りません。薄手のコートもないんで走る時のウインドブレーカーを着て軍手をはめて帰りました。寒かったです。耳が痛かった・・・・・・

自転車はしんどいです。2年くらい前に買った愛車は変速なし。買う時迷いましたが、ギアがあったとしてもほとんどいつもトップギアで走りますから「なくてもいいや」と無変速を購入。でもさすがに坂道のそれなしは辛いです。まあ自分に負荷をかけるためと考えお尻をサドルからあげ目いっぱいこいでいます。

反面気持ちいいです。今はまだ少し寒いですが、暖かくなると切る風が心地よく爽快です。なにより、なんの動力も必要としないので環境にやさしいですからね。

震災からこっち自転車が売れているという新聞記事を目にしました。確かに自転車に乗れば徒歩より格段に早く目的地に着きます。快適です(さっき書いたことと矛盾してんで「いいんです。両面を併せ持つんです」)。電車が止まっても、バスがなくともなんとか自宅へは帰りつけるでしょう。それも歩くよりはずっと早いです。
た・だ・し・自転車も数十㌔、100㌔の距離になると膝、腰にかなり負担がきますので覚悟のうえお乗りください。むか~し、自転車で琵琶湖1周に挑んで帰京した時は膝が痛くて痛くて大変でした。

きっかけはなんにせよ世の方々が環境意識や危機管理に目覚めるのは悪いことではありません。願うならこんな大きな災害ではなくしてそれに気づければもっともっとよかったと思います。
起こってしまったことは元に戻せません。せめてそれを教訓にして今後を生きていかなければいけないのでしょう。そうは思っても今回はその代償が大きすぎます。

被災地の方々の少しでも平穏な眠りを願いつつやすませていただきます。

いくつかの春

2011年03月27日

春を探そうと散歩しました。
風が強くて寒かったですね。
3時間うろうろしてました。
かわいい春がありましたね。

モクレン、スイセン、アセビ、タンポポ、かな。

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そうそうボケ(?)の花が日の光に鮮やかでした。

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帰路、食材をと思いスーパーマーケットへ。鹿児島産のソラマメを買いました。

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まだ出始め。粒がそろいません。ゆで加減が難しい。過ぎると柔かくなり食感が損なわれます。少しかための方がおいしい。これを食べると春を感じます。京都だと5月にならねば露地物は手に入らないでしょう。味付けは何もしない方がうまいですね。マメそのものの甘みを堪能しました。

春キャベツがあったので、ニンジン、ジャガイモ、タマネギにベーコンを加えコンソメキューブを2つとバターひと欠けを入れてスープに。やわらかい春の味です。

ゆっくりさせてもらいました。明日からまたがんばろうと思います。

おやすみなさい。

ありがとう

2011年03月26日

「読む」のは進みません。今月はまだ5冊です。地震の衝撃があまりに激しく、身につまされるような重い本や悲しい作品はその頁をめくる指が止まります。
とても落ち着いて読書ができない状況下にある方のことを思えばなんていうこともない戯言です。「本が読めない」と言えること自体が贅沢ですね。

「走る」のもあまり伸びません。フルを走ったというのに129です。「つもり」では史上初の200を目論んでいたんですが無理ですね(「200」とか言わんといて。せめて150を毎月こなしてから言いなさい「はい、おおせのとおりです」)。

走っていると、なんというか、まあ紛れるんですよね。走ることに一心になって他のことはどこかへいくんです(いや、正直そのへんを現実がただよっているにはいるんですが)。

でも「読む」となにかしらその世界へ行くんですが、そこへ行きながらも何か現実へつなげてしまう、いや違う、俺の表現力ではうまく表せません、ねえ。

いや、訳がわからなくなってきました。夜も更けましたんで続きは明日ということで(ほんまに続きあんの?「いや、たぶんないかも」)やすませていたら(?)きます。

というか普通に生活できていることに感謝しつつやすませてもらいます。

ありがとうございます。

不覚

2011年03月25日

教室をモップがけしていると電話がなります。
「SMです」
「? あ、先日お問い合わせをいただいた方ですね」
「そうです。わかりません?」
「?」
「Iです」
「Mちゃん?」何期生だろう。3期か4期だと思うんですが手元に資料がないので定かではありません。

実は先日ホームページから問い合わせがあり、紆余曲折をへてゼミの案内を送りました。
「住所は右京区。ずいぶん遠いところだな、通えないよなあ。まあせっかくだし送ってさしあげましょう」

それが今日着いたのでお電話をくれたようです。
しばらく昔のこと今のことに話が弾みました。懐かしくうれしかったです。
お電話ありがとう。機会があればお会いしたいですね。


彼が13歳で出会い、生徒と先生で3年を過ごし3年の空白後、講師と教室長、塾長として14年いっしょにやったMKくんが今日でラストでした。

中学の野球部で投手をやっていました。当時は「泣きのK」で有名だったようです。勉強はできましたね。ある高校へ特待生として進学。大学生になってから今までずっと講師としてがんばってくれました。
今生の別れではありませんが目頭が熱くなるのを禁じえませんでした。
「お互いがんばりましょう」
「そうやな。なんかあったら相談してや、力になれるかわからんけど。落ち着いたら一杯やろ、Kくんなんかも誘って」
「はい。またなんかあったら相談にのってもらうかもしれません」

長い間ありがとう。

風邪をひいてしまったようです。不覚です。
朝目覚めると咳、痰が。何年ぶりでしょうか記憶にありません。早く治そうと、本意ではありませんが市販薬を買って飲みました。
若くはないので養生するに越したことはありません。少し早めにやすむようにしましょう。

空気を入れ替えようと窓を開けると雪が降っています。この時期の降雪は京都では珍しいです。私の歴史では初めてです。春の雪ゆえ積もることはないでしょうが被災地の方々を思うと気の毒です。寒さに震え、不安に涙されている方も多いんでしょう。

自分が被災したにも関わらず避難所の方たちにあったかいかまぼこを届けようと製造再開した女川町の工場や旭川の自衛隊が設置した「大雪の湯」の記事が讀賣新聞に載っています。
寒い夜に心温まる話です。心の中での応援しかできない自分を恥ずかしく思います。

どうぞ被災者のみなさん、復旧に当たる関係者の方々お気をつけてください。


巡る季節

2011年03月24日

社会資本の被災総額が25兆円(最大)だそうです。加えて水道水がだめ、野菜が汚染、関空からの入国者が昨年同期の3分の1、トロッコ列車の外国人予約がキャンセル、JR西が保守用部品の品不足で間引き運転・・・・・・などなどあらゆる方面に負の連鎖が波及しています。

知り合いの建築不動産関係の社長さんからも資材不足で施工が進まずお手上げ、おまけに京町家を改築した宿泊施設の外国人予約客が軒並みキャンセルで踏んだり蹴ったりだとメールがきていました。
「でも愚痴言うててもしゃあないし、やることやらんとな」と結んでありました。そう、そのとおりです。前向きにいきましょう。

被災地で精一杯生きている人たちは必死の思いでしょう。大変さは私にとっては想像の世界です。私にはわかりません。何もできませんがせめて自分のできることをやっていきます。

今日ウグイスの声を聞きました。先週初めて聞いたときよりちょっとうまくなった歌でした。今年は寒かったから少し遅めのそれでしょうか。それともそこへ耳を向ける余裕のなかった私が聞き逃していたのでしょうか。

人の営みとは別のところで季節は巡ります。

感謝

2011年03月23日

とある私立小に通うTくん。ゼミに来るなりお母さんに
「どういうの?」と促されます。
「あのう、えーっと、国語も算数も両方とも『5』でした」
「おお、それはすごい」と驚きます。聞けば各領域すべてオールAでの完璧な「5」だそうです。ふだん真面目にやっているのが成果となって表れるのはうれしいことです。

中学生同士が小声でしゃべっています。
「成績どうやった?」
「42。一回下がったけどまたもどった。あんたは?」
「俺40」
「すごいな。初めてちゃうん40いったん」
「うん」小耳にはさんだ私が口をはさみます。
「すごいやん。そやそや、みんな通知票持って来てや」40、42は立派です。こちらもうれしく、誇りにおもいます。みんながみんなこういけばいいのですが、ことほど左様に甘くないのが現実です。でも一人ひとりが少しでも成績を上げて喜んでもらえたらそれは私たちにとっても無上の喜びです。

授業が終わって片づけてものをしていると表で車のドアがしまる音。ほぼ同時にピンポン。
「ん?」と思って出るとNくんとお母さまでした。
「遅い時間にすみません。お世話になりました」彼は高校で野球をやります。
「野球の練習たいへんやろな。がんばりや。時間ない中でやることちゃんとやっとかんとあかんで」
「はい」まあ彼は真面目でやることはちゃんとやるんで大丈夫でしょう、たぶん。今年は野球組が多く公私あちこちの野球部に進学します。楽しみですね3年後が。みなで甲子園をかけて競ってくれたらうれしいです・

先日も私のいない時にTIくんやKKくんのお母さんがいらしてくれたようです。こちらがお礼を言わなければいけないのに恐縮です。すぐ電話をしてTIくんちにはお礼が言えましたがKKくんのところはご不在。まだお礼が言えていません。明日連絡してみましょう。

こちらは当然のことをやっていますが、それで感謝されるのはありがたいことです。感謝される仕事についている幸せを思いつつやすみます。

がんばろうね

2011年03月22日

住まいを探していると思われる不動産屋さんといっしょの親子が散見できます。
新しく始まる生活への期待に胸を膨らませているんでしょう。自分の当時を思い出します。

学生課へ行って
「1時間以内なら歩きますんで、その範囲でできるだけ安いところを」とお願いしたところ係りの方が目を丸くしていたように記憶します。で、紹介してもらったのが40分くらい(たぶん)離れた太秦安井、花園駅近くの間借り下宿。「間借り」ってわかりませんよね。玄関は大家さんと同じ、自分の領域は2階の3畳一間でした。「一間を借りる」から「間借り」だと思います。家賃は3,500円でしたね。部屋にはこたつ(テーブル代わり)とファンシーケース(当時流行った簡易洋服入れ)、ちっちゃい水屋、これも死語かなあ。つまり茶だんす=食器棚。以上です。簡素な生活でした。なんもなかったけれど自由で楽しかった(ような気がします)です。

当時いた先輩、花園大学へ通うお寺のご長男を思い出します。1年後に入ってきたOくんはスキー部の後輩になりました(あんたが引き込んだんやろう)。

いやあいろいろ走馬灯のようによみがえります。

昔を振り返るとおもしろいけれど、前を見つめたほうがいいでしょう。前を見て歩きましょう。

今日の報道で被災地の小中高生がボランティアをかって出ていたのを知りました。彼ら、彼女らの活躍には頭が下がります。及ばずながら中年のおっちゃんの私もできることをしましょう。

がんばろうね。

膝が痛いです フルはしんどかった

2011年03月21日

帰り道、鳥取から一般道で佐用まで南下。そこから中国自動車道で京都へ向かいました。
「どうせまたどっかで渋滞につかまるんだろうなあ」と思いつつ車を走らせます。ところがまったく一切渋滞なく京都に着きました。驚きでしたね。久しぶりのことです。
本来の高速道のありがたみを実感しました。およそ220㌔を4時間余りで帰京することができました。行きで高速の大渋滞を避けての9号線で7時間かかったことが嘘のようです。

高速休日1,000円や無料化騒ぎからこっち、まったく高速としての機能を果たしていなかったそれですが今日は本来の姿を実感です。先を急ぐとついアクセルを踏みがち。でも今日は80~100、追い越す時だけ120くらいでゆったり快適に走りました。

安いこと自体はたいへんありがたいのですが、それゆえの大渋滞はご免こうむりたいというのが本音でしょうかねえ。使う人がその費用をある程度負担するというのは止む無しでしょう。

難しいことはわかりませんが、震災で国難に直面している今、高速無料化や喫緊の課題ではない財源をそれに充てるべきでしょう。

現地ではいろんな方々が不眠不休でことにあたっていらっしゃいます。危険を顧みずの決死の活動です。何もできない私はただただ無事と成功を祈るのみです。がんばってください。

誰の役にも立ちませんが昨日がんばり過ぎた私は右ひざを痛めたようです。普通に歩けないという情けない状態です。無理は禁物ですね。まあ明日には少しは回復しているでしょう。しばらくは走らず静養に努めます。

考えます。走行距離をふやすことでもっと楽に走れるようになるんでしょうか。私はせいぜい月100~130、がんばって150。これを150~200にすると速くなるんでしょうかね。別に速くならなくてもいいんですが今少し楽に走って完走できるようになればいいなと切に願いますね。30㌔くらいかなあ、3人の「美ジョガー?」が会話をしつつ私を追い抜いて行きました。まさに余裕でした。
「こんにゃろめ、ついてくぞ」との思いは儚く、あっという間に消えました。それくらい彼女らは速かった・・・・・・

先の3人に限らず、途中私を追い抜かして行く人がいっぱいいます(特に後半)。自分のペースが落ちているから当然なんですが、苦もなく(いや、ご本人は苦痛、しんどさと戦っているのかもしれません)老若男女にかかわらず一定のペースで歩を刻みます。私なんて前半はいいんですが後半はまったく話にならないくらいペースダウンです。そこを「すたすた」「たったったった」「ざしざし」などなど、それはそれはすばらしい歩調(走調)です。

まあ気合いだけではだめでしょう。でも気合いはとっても大切だということも身にしみて感じたレースでした。

さて膝の回復を願いつつやすませてもらいましょう。

自己ベストがでました

2011年03月20日

自己新記録がでました。3時間45分39秒です。よくやりました(自分で言うな)。
初めて5㌔ごとの区間時間をきちんと計ってみました。どうもストップウォッチの使い勝手がわからないというか、苦手なんで今まではやったことがありませんでした。
その結果は以下のようになりました。

20㌔まではみごとに5㌔ごと24分台。30㌔までは26~27分。ここまではまあ、いいんですが40㌔までの5㌔は30分以上かかっています。先行逃げ切られずのつゆちゃん、いつもの通りです。最後の2㌔は14分もかかってしまいました。がたがたでした。
25㌔を超えてからは腰から下が痛くて痛くて辛かったです。思わず歩いて屈伸をしようかと考えましたが、それをやると絶対走りきれないと思い無理しました。

前半よかったし心の中では欲が広がります。
「ひょっとしたら30分台?」いやいやそれは欲張り過ぎと思いつつも
「それで帰ってきたらかっこええやろなあ」と正直考えた。でも、それは無理ですね。

風や上りがしんどかったです。「思ったより起伏がある」というネット上の情報があったので覚悟はしていましたが、予想以上のアップダウンでした。湖山池は風がきつかったです。
「上りがあれば下りがある。向かい風があれば追い風もある」と言い聞かせて走りましたが後半は効果はなかったですね。上りと向かい風ばっかりのような(まるで誰かの人生みたいやなあ)気がしました。

沿道のみなさんの応援が心にしみました。いちいち手を振り返し「ありがと」と応えていました。私に追いついてきた女性が
「えらいですねえ。みんなに応えて。余裕ですねえ」とおっしゃいます。
「いや余裕なんて。もうばてばてですわ」追いすがろうと思いましたが、彼女はあっという間に見えなくなりました。前半は心肺に余裕がなく声はなかなか返せません。
後半は下半身の痛みでペースが上がらない分、心肺は平気。なるべく声を返しました。

一般男子1400名中322位。順位はともかくよおやったぞ。

夕食はTMさんとごいっしょに。彼も自己ベスト。走り始めて2年目くらいですからすごいです。走歴は短いのにフルは俺といっしょの3回目です。しかも還暦越えの挑戦ですから頭が下がります。

食後「クラブ」というんでしょうか、鳥取のそういう店に行きました。初めての経験です。大きな音ががんがん鳴り響いていました。実は同行のMTさんの長男、そしてゼミの卒業生でもあるMTくんがやっています、その店を。10数年ぶりに会って堅い握手を交わしました。うれしかったですね。めっちゃやんちゃな奴やったんが、ちゃんと経営者をやっていました。帰り際にも握手をしました。お互い大人としてがんばって生きようなという意味合いがこもっていたと思います。

鳥取マラソン

2011年03月19日

実は今、鳥取市にいます。明日42,195を走るためやってきました。
高をくくって「朝だら」をして出発したら高速は渋滞していました。よって9号線をひた走り、7時間くらいかかりやっと到着しました。疲れました。
「そこまでして走らんでもええんちゃうの」という声も聞こえてきます。私もそう思います。そうでなくとも日本中が地震で大変な時ですから自重しようと考えもしました。いっそ主催者側が中止を表明してくれたら自分で判断せずにすみ、楽だったんですが開催でした。

なにかと忙しく準備不足ですが精一杯走ろうと思っています。

では一応早めに寝ましょう。

精一杯

2011年03月18日

昨日、今日と何人かの中3生が合格の報告に来てくれました。KTくんはちょっと心配しましたが無事山城高校に合格。いっしょに来たKKくんは見事紫野高校Ⅱ類人文へ。
その後に、休みがちで心配していたIMくんが来てくれました。

YKくん、TSくんがそろってやって来ます。2人とも6年生から4年間通ってくれました。YKくんは得意な英語が入試で不出来だったといっていましたが、立派に紫野Ⅱ類人文合格を決めました。続いてDRくんとFKくんが。DRくんは5年生から来てくれていました。その甲斐あってか難関紫野Ⅱ類理数の合格を決めました。まあ「彼が受からなければ誰が受かるの」と思えるくらい優秀な子でした。

夕方には先のDRくんのお母さんが手土産を持って来てくれていました。
「せんせ、うちの子いったいどうなるやら。またお世話にならんとあかんかもしれません」
「いや彼は大丈夫ですよ」
「そんなことないんですよ。さっそく髪の毛を染めてきて・・・・・・」
思わずこけましたが、その後きた本人の頭を見るときれいで地味な茶色でした。
「これならまあええか」と思いました。

みんなにこんな時期があって育っていくんでしょうね。もっとも私のそのころ「髪を染める」という選択はありませんでしたがね。
できる時にできることをした方がいいでしょう。それらの行為が他人に迷惑をかけない限りは問題なしでしょう。

育っていくやつら、名残惜しいですね。またいつかどこかで会うこともあるんでしょう。ぜひ会いたいですね、大きく育った彼ら彼女らに。育っていなくてもいいです。苦労している、いや普通にでも、成功していても、なんでもええから年を経た、いや大人になったやつらに会うことを楽しみに毎日をいっぱいやりましょう。

そう、せいいっぱいやります。

問われる真価

2011年03月17日

今日も冷え込みました。雪も降りかなり寒い一日でした。
被災地の方は京都の比ではなく、寒さに震えていらっしゃるんでしょう。その大変さを思って生徒が来る直前まであえて暖房をつけずに過ごしました。

「何か買いに行こうかな」夕方かなりの空腹を感じました。避難されている方のひもじさを思って我慢しました。
私がこんなことをしても何の役にも立たないのはわかっています。でも理屈はおいてやりました。

つけなかったファンヒーターの(推定)灯油代と買ったつもりのおやつの代金相当をどこかの募金箱に入れましょう。(帰路、用もないのにコンビニに立ち寄り140円「少ないなあ」募金箱に入れました。そう節電協力でしょう、店内が暗かったし、外部看板も消灯されていました。セブンイレブンえらい!! 他のそれらもやっていらっしゃるんでしょう。随時確認します)

消防、警察、自衛隊、自治体の方々の奮闘には敬服です。自身、被曝の危険を冒しながらの任務、疲労困憊の中での職務、頭が下がります。仕事とはいえ大変な危険を背負っての遂行です。どうぞお気をつけてと思います。

自分たちも被災しながら老人ホームへ駆けつけお年寄りたちを救った高校生たち、安否
不明な同級生がいたり、自宅が全壊したりする境遇におかれながらも自発的に避難者たちを支え、励ます高校生たち。なぜに人はここまで人のために何かを為すことができるんでしょうか。こう書きつつキーボードがにじんできます。

我が妻と母親が目に見えるところで亡くなっているにもかかわらず掘り出して弔うことができぬ人のことを新聞で知りました。その無念さを思うと涙が流れ落ちるのを留めることができません。

いつかこの悲しみが癒される日がやってくるんでしょうか。くると信じなければやりきれません。あまりにも重い荷物を背負ってしまいました。が、しかし、その日はきっとやってくるでしょう。

東北の、日本の一地区の被災と思わず、日本国中でその痛みを分け合い、復興へ向けてがんばらなければいけません。日本という国が、その国民が真価を問われているのかもしれません。

やりましょう。

秩序と冷静

2011年03月16日

海外のメディアが日本人の秩序と冷静さを褒め称えているようです。確かに被災地のみなさんの節度ある行動には頭が下がります。私が同じ状況下におかれて果たしてああ振る舞えるだろうかと考えると自信はありません。
律儀で勤勉と言われた日本人としてのすばらしさをいまだに根底には持ち続けているのでしょう。地震が起こってからの1週間の報道を見ていると他人に対する優しさを保っている人たちが多くいて温かな気持ちにさせられます。

一方で京滋でも水やカセットコンロ、電池が品薄だそうです。確かに私も懐中電灯を買いにコーナンへ行きました。なかったです。電池もコンロも消毒液や使い捨てカイロも少なかったです。本当に必要ならともかく無闇な買いだめはよしましょう。みんなのことを考えて必要最小限の備蓄でいいでしょう。

この地震に際して「天罰」「我欲」と表現した知事さんもいらっしゃいました。「我欲」はともかく「天罰」は不適当な表現です。責任ある地位にいるからにはもう少し慎重に言葉を選んでいただきたいですね。

京は今日、雪。記憶にある限りではもっとも遅い降雪、積雪です。今まででは12日か13日のシティハーフの日に雪が舞ったのがそれです。被災地の方には身にしみる寒さでしょう。どうぞご自愛ください。遠く離れたところでぬくぬくとしている私が口にできる言葉ではありませんが、どうぞお身体、大切にしてください。

感謝です

2011年03月15日

被災地の原発。国家的危機だと思うんですが大げさでしょうか。東電および政府の方々は懸命にやってらっしゃるんでしょうが、もう少しなんとかならないものでしょうか。二転三転するかのような記者会見も納得できません。事実を正確に伝えていないような気もします。私の気のせいであったらいいのですが。国民をだますようなことはまさかありますまい。最悪の事態を避けるべくがんばってほしいものです。いや、もちろん今もやっていらっしゃるんでしょうが・・・・・・

なんもできない私がとやかく言う資格はありません。

みんな優しいですね。あちこちの企業や団体が下着や検査機器、食糧、カイロや水を送ったり、提供することを決めたりしています。大学も被災家庭の学生の学費減免措置をとるようです。京都中信は1億円、京都市議会は市議がお金を寄せ100万円、城陽の機械メーカーも1000万円の義援金を送るそうです。みんなえらいなあ、やさしいなあ。日本も捨てたもんではありません。

つゆちゃんもちょっとだけ、ほんまにちょっと気持ちを示させてもらいました。貯金をおろしつつ(あんた「手元不如意ちゃうんか。気持ちはわかるけど、あんま無理せんときや「ん、ありがと。俺ええかっこしいやしな」)とひとり心中突っ込んでいました。些少ですが、なけなしの義損です。少しでも役立ってくれればと思います。

今日はうれしい出会い、再会が3つもありました。
一つ目。朝一心にポスティング。ポストの口しか目に入っていません。
「向こうから親子が来るな」と思うも気にせず続行。
「こんにちは。おひさしぶりです」
「ん? うわあおひさしぶりです。え、妹さん、こんな大きならはったんですね。今何歳?」
「4歳」とかわいいこたえが返ってきます。
「そうか、もう4歳か。Yくんは大学決まらはったんですか?」などいろいろ。話が弾みました。留学費用を稼ぐためにファミレスでアルバイト中とのこと。
「また会いたいしゼミに寄ってください」と別れました。

二つ目。なにやら聞いたことのある排気音。見るとTHさん。
「Tさん、久しぶり。元気でした」
「元気、元気。介護でたいへんだけどね」
「そうか。介護だったね」彼女は昔同じ会社の他部門の人。俺より年長ですが、今でも颯爽とオフロードバイクを乗りこなします。今の仕事の倉庫(?)の関係でたまに西賀茂へ。今日もその帰路立ち寄ってくれました。しかも谷寛の「こめ泥棒」つき。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、上賀茂の農家(たぶん)の方が漬けるからし漬けです。これは絶品、逸品。まさしく名の通りご飯がとまらないくらいいっぱい食べられます。お互い仕事中、ろくに言葉も交わさず別れましたが、久々うれしい出会いでした。

三つ目。4時半から新小1の授業。CAさんを待ちます。なかなか来ない。すると駐車場に車が止まり親子が降りてきます。お母さんが大きく手を振っています。実はお母さん教え子です。いっしょに机を並べ仕事もしました。結婚式では主賓のあいさつもさせてもらった間柄です。
「いやあ、まさかこんな日が来ようとは」という彼女の言葉をそのままオウム返しにしたかったです。親子二代にわたる先生をさせてもらって私は幸せです。

そう地震やなにやかやで重たい日日が続きましたが今日はそれらを瞬時忘れさせてもらった一日でした。明日からまたがんばろうという気持ちにさせてもらいました。ありがとう。感謝です。

ありがとう、支援の輪

2011年03月14日

日本全国各地から、のみならず世界各地から救援の手が届いています。支援の輪が広がっています。届きつつあります。利害を超えての支援。ありがたいことです。
正直、涙を禁じえません。

同じ日本にいながら私個人としては何もできていません。せめて早く募金に行って、ほんのわずかながらも気持ちを表しましょう。私がわずかなお金を寄付したところでなんも変わらないとは思いますが、せめてもの気持ちです。

山形に住む学生時代の先輩、後輩に安否確認のメールを送りました。幸い彼らは何もなかったようです。でも後輩の仙台市内在住の弟さんに連絡がとれていないようです。無事を祈りましょう。先輩によるとガソリンが足りず少量しか入れられないようです。

俺に何ができるんやろ・・・・・・けっきょくなんもできひん、というのが結論です。

駆けつけて役に立つんやったら、すべての事情が許せば
「今すぐでもいきまっせ」というのは正直な気持ちです。が、こんなおっさんが行っても迷惑なだけでしょうし、事情も許しませんし自重しましょう。

今日は月曜日。大地震とは関係なく日常を始めざるを得ません。朝からいろいろやりました、ありました。そう東北の方々も生きるために戦っていらっしゃいます。私も及ばずながら応援しつつ己が生きていくために戦っていかねばなりませぬ。

その基準はある意味違いますが、ある意味同じです。

そう、生きるために戦いましょう。負けるな東北の方々、俺もね。

東京の駅でならぶ人が言いました。
「並ぶだけだからいいでしょ。仙台の人はもっと大変でしょ」見知らぬあなたはすばらしいです。ありがとう。あなたの言葉にしばしの安らぎをもらってやすみます。

ほんとにありがとうございます。

やりきれないです

2011年03月13日

報道でいろいろなことが明らかになるにつれ被害が大きくなっていきます。

やりきれません。

何もできません。

それこそ少しでも節電に協力するくらいです。

募金はできます。

明日行きましょう。

それくらいしかできません。

あながち昨日のメールは「悪質」ではなかったのでは、と反省しております。純粋に「節電をして少しでもできることで協力しよう」との表れだったのかと思います。
どうも冷静さを欠き浅薄な地がでました。恥ずかしいです。

少しでも多くの方が無事に発見されることを祈ります。

それくらいのこと、それしかできません。

言葉もありません

2011年03月12日

言葉もなく地震の報道を見ていると以下のようなメールが来ました。
粗忽者の私はすぐできる限りメールを回しましたが、どうやら「悪質な」チェーンメールのようです。

『■お願い■

関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。

一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!

こんなことくらいしか関西に住む僕たちには、祈る以外の行動として出来ないです!

このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!』

ほんま、こんな時にこんなことをする「やつ(軽蔑の意味がこもっています)」の気がしれません。「ふざけるのもええ加減にせえや」との思いです。

すみません。お騒がせしました。「何かできることを」をと逸った私がバカでした。

何事もなく平穏に今日を過ごせた自分を幸せに、いや被災地の方々の、いや、何を言っても空虚な言葉にしか過ぎないでしょう。

ともかく、これ以上涙を流す方の数が・・・・・・少しでも減ることを祈ります。

東北太平洋沖地震

2011年03月11日

クライストチャーチの悲惨な地震被害の衝撃が覚めやらぬうちにまた大変なことになってしまいました。とてつもない大地震です。大きな被害がでているようです。

昨日でしたか、中国雲南省でも大きな地震があったようですし、ハワイのキラウエアが溶岩を噴出させている映像も見ました。

怖いですね。「地震、雷、火事、親父」と昔から言われていますが、確かに何の前触れもなくやってくる地震は恐ろしいです。なにができるかはわかりません。自分の回りだけを考えるなら、家具を固定したり、水や非常用食糧を備蓄したりくらいのことは心がけなければいけません。気休めに過ぎないのかもしれませんが、何もしないよりはましでしょうか。

報道を見ているとどんどん被害が明らかになってきます。これは非常事態です。多くの人の命が失われています。心が痛みます。
亡くなった方はもちろん、その家族の方の心中を思うと、どれほどや辛いことか・・・・・・

他人事と思わず自分ができることを考えます。しかし何もできません。先のNZの時のように募金することで気持ちを表しましょうか。それくらいしかできない私は非力ですね。

思うに人はいつどこでいかなる災厄に遭遇しないとも限りません。いつどうなってもいい覚悟を決めておかなければいけないのかな、とも考えます。
下着なんて誰に見せるわけもなし、どうでもええやと思っていましたが、担ぎこまれた病院で「あら、この人のシャツ擦り切れてるわ」とかなんとかなるとかっこ悪いし気をつけましょう。

自然の脅威の前には人知なんてとても及ばないんでしょう。せめてこれ以上被害が大きくならぬことを祈りつつやすませてもらいます。

「陰徳あれば必ず陽報あり」

2011年03月10日

広島県のレモン農家が寒さで実が凍って出荷できないだけでなく木そのものもやられ、次の年の実りにも影響しそうだという話を昨日のニュースで聞きました。
佐藤錦の栽培農家が雪の重みで枝が折れて収穫に大きな影響がでそうだという報道もありました。手塩にかけた作物が寒さのために全滅。大変でしょう。生活がかかっていますからね。それほどにこの冬の厳しさ、大雪は尋常じゃなかったんでしょう。

ゼミでも4回目の冬を越すはずだった葉っぱが二鉢と二冬目の葉っぱを合わせて3つも枯らせてしまいました。ごめんなさい、暖房をあまり使わない部屋だけに彼らには寒かったんでしょう。根が生きているかもしれないのでもう少し暖かくなったら外に出して復活を試みます。前者は前に一度生き返らせたものですので、がんばってもらいましょう。

昨日の東北の地震では津波でカキなどの養殖にも被害がでているようです。出荷の最終期に被害に見舞われた漁業者の表情に苦悩が表れていました。お気の毒です。人的被害がなかったのは何よりですが、自然の力の前には人の存在は非力ですね。

逆らわずなされるがままに生きると楽なんでしょうか、どうでしょう。

「陰徳あれば必ず陽報あり」という言葉を今日初めて知りました。けっこうそんなふうにやってきたつもりですが、これからもそうやっていきます。

α station

2011年03月09日

帰り道FM京都のα station を聞いていました。車中はほぼ毎日です。そこでいい話を聞きました。掻い摘むと
「毎日それだけ初対面の人と会って疲れへんか。大変やろ」
「今どんなに仲がええ人かて恋人かて最初はみんな初めて『はじめまして』なんやで。その後どんなお付き合いになるかどうかわからへんし、そのご挨拶だけになるかもしれへんけどその一回目やで、『はじめまして』は1回しかあらへんね。そう思たらその出会いを大事にせなあかんやん」

(掻い摘みすぎてようわからんかったらご連絡ください。いや冗談ですが、いやほんまにお尋ねくださってもけっこうです。「どないやねん」)

む~む。思わずうなりましたね。私もそんなに社交的な人ではありません。恥ずかしがりやです(どこがや「いや、事実です」ふ~ん)。ともかく初対面は苦手です。でも先の話をもとに考えると言いえて妙、然りですね。ゼミに体験や見学に来てくれた生徒、話を聞きに来てくださった保護者の方、みんなその時が初対面です。その後の関係がいかになるかはさておいて、大切にしなければならないのは事実です。「一期一会」という言葉が当たるのでしょうか。ちょっと違うかもしれません。

今まで54年生きてきていったい何人の方と出会ったんでしょうかね。そのいろいろな出会いがあったからこそ今の自分があると感謝しなければいけません。

そう、人と人との出会いはおもしろし。こうやってつらつらと書いているといろんな人の顔や名前が浮かんできます。みんなどうしているんでしょうね。

こんなことを考える機会をくれたα station に感謝しつつやすみます。

安物買いの銭失い

2011年03月08日

愛用のヘアブラシがいよいよダメになり捨てました。未練はありましたが、かなりくたびれていたので断腸の思い(たいそうやなあ)で、涙をのんで(おおげさやな)さよならしました。20年以上使っていたかもしれません。

髪にはふだん気をつかいません。シャンプーは頭皮によくないと聞いて以来、石鹸で洗います。しかも100円で3個入っているようなそこらの安もんです。リンスは年に数回するかしないかでしょう。洗ったらムースをつけてブラシで梳いてそれで終わり。ですからブラシの果たす役割は大きいんです。

でコーナンで後継ぎを購入しました。それが、なんと189円(安!)。それが、なんとまったく役立たず。使い物になりません。しょうがないので今は手櫛でやっています。早いとこ後任を見つけなくてはいけません。外相の後任よりは遅くなるでしょうが。

使いなれたもの、付き合いなれた人は、互いに使い勝手、気心が知れていて馴染んでいます。新しいものはそれはそれなりいいんですが、使い慣れるまで時間が必要です。先の商品は馴染む前にお蔵入りかもしれません。

「安物買いの銭失い」を地でいきました、ね。値にこだわるあまり、よくある失敗です。

明日は朝から寄り合いです。寝坊をして失敗せぬようやすませてもらいます。

負うた子に教えられ

2011年03月07日

ゼミの卒業生で色鉛筆を使って童画を描く女性がいます。先日彼女のブログを読んでいて彼女の絵が一流企業のカレンダーなどに採用されていることを知りました。とっても幸せな、誇らしい気持ちになり思わずメールをしてしまいました。
教え子がいろんな方面で活躍しているのを、いや活躍していなくてもそれぞれの人生をしっかり生きているのを知ることは大きな喜びです。

ほんわりした子でした。穏やかで物静かな子でした。ほかの子が休み時間に騒いでもひとり大人しく座っていました。といって孤立するわけでもなくみなが一目を置いていました。目立ちませんが勉強はできました。考えが深い子でしたね。
私がつまらぬことを言うとほかの子は大笑いをするんですが彼女は笑いません。といって暗いわけではありません。孤高を保つというか大人の雰囲気を漂わせていました。彼女のお姉さんも同様。二人揃ってよく勉強ができました。

私は当時
「彼女らを笑わせるぞ」とそれが第一目標で教室に入りましたね。授業中彼女らがくすりとも笑おうものなら心の底でガッツポーズをしていましたね。「なにしに授業にはいってんの?」という声が聞こえてきそうです。

彼女のみならず、今までに関わった子どもたちからいろんな、いっぱいいっぱいの思い出をもらいました。楽しいもあり、うれしいもあり、もちろん悔しいも悲しいもありました。そのひとつひとつに素直に「ありがとう」と言えるくらいの年月を経ましたね。

彼女も昨年お母さんになりました。今は子育てをしつつ創作活動に励んでいるようです。かかわりのあった子どもたちが成長して「大きく」なっていく姿を見たり、聞いたりするのは喜びです。
その喜びを与えてくれるみんなに感謝しつつやすみます。

昨日のブログは極めつけの尻切れトンボでした。中途半端なまま寝てしまったようです。すみません。

隔世の感

2011年03月06日

「はやぶさ」が東京ー新青森間を3時間10分で結びました。最高速度300km/時という国内最速だそうです。学生時代北海道合宿の帰路青森ー東京を寝台急行で帰った覚えがあります。所要時間は9時間だったと記憶しています。
その時は釧路で旧級友に会い、年末で特急列車がとれず函館まで急行で11時間かかってたどり着き、青函連絡船に4時間以上揺られた後の上野までの道中はきつかったですね。さらにその後新幹線で京都へ着き、下宿へもどり荷物を持ちかえまた香川まで移動しました。若かったとはいえしんどかったですね。(この件「くだり」は以前に書いたと思います)

東京―大阪は現行2時間25分で行けて大阪ー鹿児島が3時間45分ですから青森から鹿児島まで9時間20分で行っちゃうわけです。隔世の感があります。

隔世の感なんていうとそこらじゅうそれらだらけですね。いろいろいっぱいあり過ぎて語りきれません。

だからして、隔世の感はまたに譲りますね。

『青空のルーレット』 『多輝子ちゃん』

2011年03月05日

朝10時ころまでゆっくり寝させてもらいました。その後読書。
『青空のルーレット』辻内智貴さんを読みました。都心でのビルの窓ふきを生きる糧とする人たちが描かれます。「窓ふき」はあくまで生きるための手段。みんなそれぞれに目指すものがあります。ミュージシャン、俳優、作家。夢を追って生きています。嫌なやつがでてきません。
「こんな純粋なええやつばっかり」ほんわかほわほわ、爽やか、心洗われます。
「このまま何事もなく終わったら話としては物足りんな」と読み進めます。もちろん辻内さん(知り合いではありません。初見です)しっかり見せ場をこしらえてくれます。あまり書くと筋書きが知れます。
唯一嫌な登場人物はとことん嫌なやつです。そいつが終幕前にとんでもないことを企みます。絶望的でしたが凌ぎます。泣けます。
もう一編『多輝子ちゃん』も収録。太宰治文学賞受賞作らしいです。これもよかった。途中衝撃が走ります。多輝子ちゃんは自死を選ぼうとしますが、その衝撃の底で出合った歌に多輝子ちゃんは救われ、その後生き続けます。

「人生ってなんだろうな? ほんとうの幸せってどこにあんだろうな?」

2時間ちょっと久々長く走りました。23㌔ですか。東は白河通り、西は西大路、南は三条まで北は国際会館前ですね。最後は2㌔くらい追い込みを入れたので、さすがに脚がパキパキです。
暖かいだろうとTシャツ、ランパンで出ました。ところが思いの外寒く、身体はともかく手が冷えて参りました。途中自動販売機で熱いお茶を買い、飲むよりなにより手を温めました。束の間の暖でした。
今日よりちょっと速いペースで走れば3時間50分を切れますね、計算上では。現実はそう甘くないのはよく知っています。まあ自分との闘いです。負けないようにしようと思いますが自信はありません。

走り終える直前、電話。見ると車を預けた近畿オートさんの社長さん。
「ん? 直々か」嫌な予感。大きな故障でお金がいっぱいかかるし社長自らの電話でしょうか。
「もしもし、露原です」
「今、授業中じゃないですか?」
「大丈夫です。ランニング中です」
「見させてもろたんやけど、漏れもなんもないねん。たぶんちょっと冷却水が減ってて何かの拍子に警告表示がでたんちゃうかなあ。そやし、車とりに来れるか?」
「そうですか。わかりました。もうすぐ走り終えるし、シャワー浴びてすぐ行きますわ。何時まで開いてるんですか?」
「いや、それはいつでもええで。まちますよ」などなど。取りあえず大事にいたらずほっとしました。夕方で道が混んでいて辿りつくのに時間がかかりました。正直こんなに早く直ると思っていなかったのでうれしかったです。渋滞なんのそのです。気持ちは逸りましたが。こんな時に限って渋滞を避けて入った道が思うように進まず裏目に出ます。
「まあそれもまたよし」と開き直って信号待ち読書をしながらの道中でした。

帰路のボルちゃん。
「やっぱ、あんたがええわ」と乗り味を楽しみつつのドライブです。でも不思議です。たかだか20数㌔を乗っただけのレガシーの感覚が身体にあり、しばらくはボルちゃんになじみませんでした。おまけに座席位置が変わったような気がして自分に合わそうと記憶させた位置になるように計器を押します。無反応、反応なし。
「????? 今度はこれがいかれたの?」とかなり落ち込みました。
「まあ、もう古いししゃあないな。大勢に影響ないしこんまま乗るわ」と自分に言い聞かせます。反面
「これは気のせい、何かの間違いや。次に操作したら直ってるわ」と複雑な心中、正直なところです。いくつか用事を済ませボルちゃんに乗り込みます。ふと思い出し計器を押します。動きました座席が。
「よかった~。さっきのはやっぱり気のせいやったんや」いやいやそうではなかったんでしょうが、ま、なにはともあれ動いてよかったです。

元はそこそこの高級車(?)といえども、なんやかや言うても10年選手。気づかったらんとあきませんねえ。己の身体も同様ですわ。

とかなんとか言いながら全然そんな配慮はありません、ね。

今日は腕立てがまだです。この後やるか否か。正直しんどいし、寝させてもろて明日二日分することで勘弁してもらおうかな・・・と思っています。

さてどうしようかねえ。

「0」は明日がつらいしちょっとでもしましょうか。????

検査入院、ボルちゃん

2011年03月04日

今日は公立入試。起きて眠い目をこすりつつ天神さんへ。
みんなの合格を神頼み。「意味ない」とおっしゃる向きもおありかと思います。確かにそうです。気休めにしかすぎません。でもみんなに受かってほしいと思う気持ちがあらばこそです。
642円(えらい半端やね「いつも財布にある小銭すべてを奉納しています。いつぞやはたまたま500円玉が2枚あって総額1,400円くらいになって痛かった」)をお賽銭箱に入れ全員の合格をお願いしました。ついでに日本全国の全受験生にも声援を送っておきました。さらにゼミに新しい生徒たちがたくさん来てくれるようにもお願いしました。(欲張り過ぎやな)

梅が咲いていました。いいところ5分咲きといったところでしょうか。新聞の「梅便り」より少し遅れ気味です。控えめなようでしっかり自分を主張する香りが漂っていました。

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明日は暖かいそうです。ぜひお出かけになってみたらと思います。

さてボルちゃん。今朝一、乗る前に冷却水を確認。減っている様子なし。天神さんまで行っても水温計は異常なし。でも不安やし一応近畿オートさんに電話。乗って行くことにしました。電話で応対してくださったNさんの
「お気をつけておいでください」というさりげない言葉にあったかくなりました。
違和感なく着きましたが、込み合っていてすぐには無理のようです。一応しっかり見てもらおうと点検もお願いしてボルちゃんは検査入院です(寂しいな)。自分がそうならんよう気いつけますわ。

代車はレガシーワゴンです。車が好きなのでこんな折に違うのに乗れるのはとっても新鮮です。計器類の操作ひとつとっても全部(かなり)違います。おろおろしましたね。FMラジオを聞こうといろいろやりますが、なかなか思うようにいきません。座席を前にと思ってもどこをどう触ればいいかわかりません。後ろのワイパーも動かへんし・・・・・・なあ。

明日、明後日はやすみです。中3の直前講座が終わりちょっと一息です。とっても解放感があります。久々の連休です。さて、どう過ごしましょうか。

JAF

2011年03月03日

授業を終えて
「今日もよおやった。おつかれ。さあ帰ろう」と車に乗り込みキーをひねると何やらメッセージが。見ると
「冷却水不足、エンジン停止」
「はあ? なんでやねん」そこへ電話。
「Nですけど、もう授業終わりました? Kがまだ帰らへんのです」
「定時より5分くらい過ぎて終わりましたよ。どこかで寄り道してるんでしょうね。そこらを回ってみます」と言ったものの車の不調が心配。それでも思い当たるところを巡りました。いませんでした。
「後で電話しよう。どうしよう? どうやって帰ろう。西大路まで出てみっか」と車を走らせます。水温計が心なしか上りが早いような気がします。不安。
「JAF呼ぼ」
「50分かかります」参ったな。
「もう1件心当たりあるんでそっちも聞いてみます。そっちが早かったらお断りしてもいいですよね?」
「はい。キャンセルのお電話ください」
近畿オートさんにも電話しましたが、けっきょくJAFさんを待ちました。45分くらいで来てくれはったけど、待ってる間寒かった。エンジン止めな環境に悪いしもったいないしと思って。

これ以上うだうだ書いてもしょうがないので結論は家まで帰れました。JAFさんあとからついて来てくれました。仕事とはいえ大変です。感謝です。
「ファンが回っていない」とのこと。明日近畿オートさんに電話かなあ。困りました。いろいろと予定が狂います。

10年目ともなるとややはりあちこちガタがくるんでしょう。点検などマメにしなければと朝思った矢先でした。私の身体はその5倍以上。点検はここ5、6年(いやもっとかな)してません。車同様、それ以上に気をつけてやらねばいけません。

今日は3月3日、雛祭りですね。バレンタインやホワイトデイ、クリスマスなどに比べると地味です。室内でお雛様を飾ることにも関係があるんでしょう。亡き母の誕生日でもあります。覚えやすい日なんで覚えています。格別に母思いという訳ではありません。父や弟のそれは定かではありませんしね。若くてちょっと自慢の母親だったことを思いつつやすみましょう。親不幸だったせめてもの罪滅ぼしということでね。死んじまってからより生きているうちに・・・と思ってもおそいですね。

不死身?

2011年03月02日

えらい日に自転車で行きました。帰り寒かった。家に帰りつくころには雪が降ってきました。今も降っています。車の屋根が白くなってきました。あったかくなってきたので、このまま春が来るのかなと思っていましたが、そうはどっこい問屋が卸しませんでした。まあそれほど積もることはないでしょうがね。

釧路にいたころ確か4月1日に40㎝の積雪があった覚えがあります。子どもだったしかえって新雪がうれしかったように思います。
10数年前でしょうか4月20日ころに千歳に出張。帰路、釧路で級友に会いました。その夜雪が舞っていました。狭いようでけっこう広い日本です。つい日常を過ごす狭い世界にとらわれがちですが世界は浩、いや違う広しです。

今日で中3公立入試前、最後の授業でした。やることやったし、みんなそれなりやってくれるでしょう。帰りがけKRくんが照れ隠しか大見栄を切るように
「お世話になりました」と。寂しさを感じます。

1年間よくやりました。ちょっとほっとしたかな。でもまだまだこれから始まる新年度の準備が山積、海深しです(こんな言い回しはありません。私の造語です)。
こういう時こそ気をつけねばいけません。緩んだ心と身体に風邪やインフルの細菌が忍び寄ります。

気を引き締めていきましょう。私が病気になるわけにもいけません(絶対ならへんしね「その自信は何処から?」根拠はありませんよ。それが何か問題ありますか?「そない開き直らんでもええやん」まあな)。まあ気合いでウィルスを撃退しますわ。

それにしても、こんだけ不節制を積み重ねても生きている俺は不死身?