本意、矜持

2011年07月22日

「それはずいな」
「そやろ。むっちゃはずいやろ」休み時間の生徒らの会話。流れから「はずい」=「はずかしい」とはわかりますが思わず
「そんな言葉はない」と言ってしまいます。
「むずい」「きもい」「きしょい」「はんぱない」などいろいろな言葉が作られたものです。私自身は使うつもりはありませんが、若い人の間には正しい言葉として定着していくんでしょうか? 嫌ですね。

子どもに限りません。
ファミレスで
「こちらハンバーグになります」(「なります」ってこれはまだハンバーグと違ってこれからハンバーグになるんか? と思いませんか)

コンビニで
「10,000円からお預かりします」(「から」ってどんな「から」ですのん? 「を」でええでしょ)

料理番組で
「これを焼いていきます」(「いきます」ってなに? きっぱり「焼きます」でいいんじゃないんでしょうか)

こんなにこだわる私の方がおかしいのかもしれませんが、やはり気になります。方言は別ですが日本語は正しく使いたいと思います。少なくとも私だけで心がけます。

「ら」抜きも大変気になります。「見れる」「食べれる」が当たり前になってきています。メディアの影響でしょうか。芸人さんやスポーツ選手がそれらを使っても「まあしゃないか」とも思います。でもアナウンサーは許せませんね。さすがにニュースでそれを耳にするのは稀ですが、バラエティでは口にしている彼女ら彼らがいますね。公共の電波です。言葉がお仕事の方々、今少し慎重に言葉を発してほしいですね。
今日も朝のテレビでグルメライターなる方が「見れる」「食べれる」を連発されていました。紹介されているお店そのものに疑問符がつきかねないことだと思います。
「あんた、自分の記事の文章に『見れる』『食べれる』を使うんか? 私はそれを見た瞬間その後その文章を読むのをやめますよ」

ま、なんだかんだ偉そうに言ってますが、自分を戒めてもいるんです。子どもたちに何かを教えているんだから最低限のきまりは自分の中に持っておこうとね。ほんとはとってもだらしない人間だから、そうやって自分を律しないととんでもないことになってしまいます。

このブログにしたってせいぜい心してはいますが、その場の流れでぞんざいな言葉遣いや間違った表現もあるかもしれません。ただそれらがないように心がける意識だけは常に持っています。

ちょっとした自分なりの、つまんない矜持でしょうか、ね。

ま、世間の言語表現がかわっても私はかわらずに生きていきましょう。偏固と思われてもそれは本意です。

「矜持」は大切です。強すぎてもいけませんが、それがないのは困ります。