20歳の献血、56歳のそれ

2013年01月16日

LED電球の会社の方と話しているとMさんが呼びに来ました。
「せんせ、Yくんが来てはるんですけど」先日も私に会いに来てくれ不在でしたんで優先。
「おお久しぶり。どしたん?」
「いや、あの早く報告に来ようと思ってたんですけど時間がとれなくて今日になりました」
「なんか進路決まったみたいなことはHくんから聞いててんけど。ちょっと前にも来てくれたみたいで悪かったね」
「はい、大阪の専門学校に決まりました」
「ほお何をするのん」
「救急救命士になります」
「そうかそうか。たいへんやけど、やりがいのある仕事やね。がんばりや」このへん彼には悟られまいとしていましたが涙目になりそう(なんでやねん「小説の場面が浮かんだんや」そうでっか)
「ありがとうございます」
「HもMも、知ってるやろ? 消防士になるって言うてたで」
「はい、知ってます。できれば俺はレスキュー隊を狙っているんですよ」
「おおお、それは今一歩上やね。楽しみにしてるわ。いずれにしても命にかかわる仕事やし責任重大やな」

わざわざ報告に来てくれました。うれしいですね。彼は陸上部。毎年のように滋賀県の希望が丘で会っていました。彼は現役でかなりトップクラスの選手、私はポンコツの中年親父。それでも「走る」を共有できる仲。

「またどっかマラソン大会で会えたらいいです」
「そやな。まあ近く通ったらまた寄ってや」と固く握手。


その後Mさんと話しました。
「救急救命士ですって」
「はい、聞こえてました」
「なんとなく大学へ行くよりずっとすごい選択ですよね」私なんてなんの考えも無しにとりあえず大学へ行った口ですから彼らの足元にも及びません、ね。
「ほんまに」
「えらいな、みんな。それなり一生懸命考えてんですよねえ」

彼ら3人に日明恩さんの著書を贈ろうと思います。迷惑かもしんないけど、いつか読んでくれたらええしね。

56まで人生をやらせてもらったからわかることで15や18でわかることではないのかもしれません。もう少し自分が深い考えをできるその歳やったらよかったんかなあ。まあでもそれはわからんですね。今の私の仕事にもやりがいは感じられます。ただ惜しむらくはお金がからみます。生きていくためには稼がなければいけないという側面、いや正面があります。
もちろん何の仕事をしても生活しなければいけませんのでお金がどうしたってついて回るのは否めません。霞を食って生きられる仙人ではありません。生きる糧はそれはそれでいただいて、そのうえでできる社会貢献はしていこうと思います。(自分にそんなに余裕がない割には寄付や募金してるなあ、あんた「いや、ほんの気持ちです。ほんま、ささやか過ぎるんですよね。とりあえず、ほんまに気持ちだけです」)

たいしたことはできません。ほんの少し募金したり献血したり骨髄バンクに登録したり脳死臓器移植に登録したりくらいです、私にできることは。それくらいです。できることは。献血なんて持ち出しは私のあまりきれいではないであろう「血」だけですからね。でもねえ、けっこう痛いんですよ。おまけに血を見るのは嫌い(好きな人はいいひんな)。この間初めて献じた血を見ました。かなりの量です。それを見ただけで貧血をおこしそうになりました(いや、そこまではなりませんでしたが、思わぬ大量でした)。


そうだ31回目の献血が今日から解禁です。27日に四条方面へ出る予定があるんで、そんときにやりましょう。

そう私にできる精一杯の貢献です。

できるかぎり続けます。

H先生もやってね。