謙譲

2013年02月28日

自転車で道路を渡ろうとしているご婦人。幸い対向も後続もないので止まりました。渡られません。
警笛をやさしく「ぷっ」。ところが渡るどころか引っ込みはりました。
「どうぞ」のつもりが「じゃまや」に聞こえたんでしょうか。悲しいな。後者の意味で鳴らす人が多いんでしょうか。「初めにヒトありき」のはずなんですがね。

狭い道で譲っても手を挙げたり軽く警笛を鳴らしたりして挨拶する人も昔に比べ減りました。譲ってやったと思うと腹が立つことがあるんで、そう思わないようにしています。腹立てるだけ損やもんね。とは言っても正直内心毒づきたくなりますね。

もうちょっと他者を思いやる気持ちをお互いがもてば少しでも世は優しくなりましょう。私だけでも心します。
なんて言ってますが生徒にはかなりきつい口調で叱ることのある私にそんなことを言う資格はないかもしれません。もう少し優しく言えるようにします。でも言うときは言います。迎合、妥協はしたくありません。今後も言うべきときは言わせてもらいます。ただ少し優しい言い方にします。


K学園に進学を決めているNくんのお母さまが夕方ご挨拶にきてくれました。おまけに酒好きの私に「山崎」をいただきました。さらにサルディーニァのからすみも。

授業料をいただいて当然の授業をしているんですからお礼をもらうのは筋違い。こっちがさしあげなきゃいけないくらいです。でもこういうときは素直にうれしく思って即座にいただくことにしています。日本人の美徳のひとつに謙譲の精神がありますが、それも場合によりけり。度を越したそれはいやらしいと思っています。

ものをあげるときも相手によりますが「つまらないものですが」なんて言いません。きっぱり言います。
「これおいしいですよ。食べてみてください」。その方が気持ちいいもんね。

もちろん謙譲の気持ちはあります。えらそうに言ったりやったりしないように心していますが未熟者ゆえついそんなんなってしまっているかもしれません。お気づきの方はおっしゃってください。
「あんたえらそうやで」と。自分では気づかないことも多いと思いますからね。己の非を認める度量はもっていると思います(たぶん)。悪いと思ったら素直に言います。
「ごめんなさい」と。

なんだかんだ言っていますがこの年になっても反省の毎日です。この先も悔いたり悔やんだり(あ、いっしょか)悩んだりしながら生きていきます。