晴「走」雨読

2013年03月31日

午前中は雨音を聞きながら読書。『プラチナデータ』東野さん。一気に読んでしまうくらいおもしろかった。
映画も上映中かな? 二宮くんで。

3月はこれで10冊、累計28冊と好調(あんた仕事してんのか? 3月は忙しいやろ「まあね」)。

夕方走りに出ました。鴨川や哲学の道でさくらを愛でながらの快走。気持ちよかった。16km で今月は153km と久々の150 超え。借金も30 まで減らすことができました(あんた仕事してんのか? 3月は忙しいやろ「まあね」)。

間にお散歩。公園で少年野球の試合をやっていました。どうやら同チームの6年と4年が対戦しているよう。
4年生が先制し、6年が逆転するところまで見ましたが監督さんの言葉が汚い。ここに書けない、書きたくない罵声を浴びせています。
「俺こんなチームでやんのいややな」と思いました。教え諭してうまくしてやろうという愛情がかけらも感じられませんでした。ちょっと悲しくなって途中で切り上げました。
ずっと体育会系でやってきました。練習はかなり厳しくしんどかったんですが、あんな言葉を浴びせかけられたことはありませんね。それくらいひどかった。

選手たちは一所懸命にやっていたので微笑ましく楽しく見ていたんですがね。コーチのおじさんたちの対応が違ったのが救いでした。

途中さくらを写真に収めましたがお目にかけられるようなものはありません。残念!!みなさんご自分の目でお楽しみください。今週末ではちょっと遅いかもしれません。いつもは遅咲きの植物園横の枝垂れも開き具合は早そうでした。見逃さないようにご注意ください。
「さくらくらい来年も見られるわ」と思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが今年のさくら、今日の今今、この瞬間はここしかないけんね。大事にしましょうぜ。


晴「走」雨読の日でした。

献血してね

2013年03月30日

「2027年問題」というのがあるのを夕刊を読んで知りました。
献血と輸血の需給関係がくずれ大幅に血液が不足する恐れがあるそうです。推計で100万人分が足りなくなるそうです。
高齢者が増え、若者の献血者数が減っているのが原因だそうです。
献血に行くたび目にする若者たちの数に
「最近の若い人たちも捨てたもんちゃうやん」と感心していましたが減少しているんですね。
そりゃ検査と採血で2回の「ちくり」を味わうのはけっして好ましいことではありませんが、その血がどなたかのお役に立つという気持ちをもって若い人たちにもぜひ協力してほしいですね。
私もできる限りは年3回の協力は惜しみません。もっとも2027年までは無理ですね。たとえ生きていても70歳になっちゃいますから。いくつまでできるんだったっけな? 忘れました。まだしばらくは大丈夫でしょう。
200ml なら16歳からできます。中3の授業などでは「お菓子食べ放題、飲み物飲み放題やで」と言ってPRしてもいます。けっこうみんなその時は乗り気ですが実際はなかなか行きませんよね。

今後も機会あるごとに啓蒙していこうと思います。


なんの関連もありません(いつものことやね)。
ゼミのヒヤシンスです。あんたの頭を冷やしんす、なんちゃって(ええ加減にしいや「はい」)。

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白い方は植えた覚えがありますが赤い方は数年前に忽然とあらわれました。球根がどこからか飛んでくる訳はないので謎です。

まあ毎年春の訪れを伝えてくれるんでなんでもいいか。


人間はいろいろ悩んだりなんだりかんだりやっていますがヒヤシンスはヒヤシンスの人生(ちゃうな。花生かな?)をおくっています。

私も私の人生をおくります。

2013年03月29日

ロボットのイベント打ち合わせで桂のあすなろ会さんへ。久々でしたが迷わず行けました。10時半~12時の予定でしたが長引き終わったのは1時過ぎ。お腹も空きました。

そのせいという訳でもないんでしょうが集中力を欠いていたんでしょうか。大失態。

帰路大きな交差点で左から渡ろうとする女性。止まりますが渡りません。左右を確認したつもりで前進。ところが右から来ていた自転車に気づかず危うくぶつかりそうになりました。
かなり注意して、特に歩行者には気をつかって運転しているつもりですがまずいですね。その場では彼女に謝れなかったんでここで謝意を表します。
「ごめんなさい」
事故を起こして相手にけがを負わせたらそれこそ取り返しがつきません。これまで以上に慎重な運転を心がけます。
歳をとり目も衰えているんでしょう。視野も狭くなっているような気もします。十分に注意します。


この時期お礼をいただくことが多いです。今日もMRくんの妹さんが
「これお母さんが」といって何かをもってきてくれました。ありがとうございます。早速電話してお礼を告げました。

どちらかといえばこちらの方こそ通ってくれてありがとうのお礼を言うべきです。
「ほんとうにみなさんありがとうございました」

これをお読みになる保護者の方、けっしておねだりをしている訳ではありません。ご理解ください。


先日掲載したフキノトウがすっかり大きくなって葉っぱも出てきています。春は日ましに深くなっています。
「ワラビがないかな」と思って探しました。少し前ならそこら中にあったんですが、原谷もご多分にもれず宅地がドンドンふえています。イノシシのえさ場も家が建ち彼らもたいへんです。農協の水路も久々に歩くと両面、底がコンクリートで固められ昔の面影なし。歩くには快適ですが、寂しい感じ。

探すこと20数分、やっと見つけたワラビが右写真です。やっとの3本です。採ってもしかたがないんで撮りました。

春を感じつつやすみます。

みなさまも心地よい睡眠を・・・・・・

ドラセナコンシンネ

2013年03月28日

昨日MTくんのお母さんがご挨拶に来てくれました。直接お会いできなかったので今日、電話しました。クラス分けテストの結果上のクラスに入れたと喜んでいらっしゃいました。

NMさんも本人が手焼きのクッキー持参で来てくれてお手紙を。
「6年間ありがとうございました。おかげで第一志望の高校(龍大平安特待生)に合格できました。次はY(弟)をよろしくお願いします」と。ちょうど弟くんのことでお母さんが見えたのでお礼を。

今日はKAさんのお母さんが。
「せんせ、ありがとうございました」
「いえいえよかったですね。Sさん(Aさんのお姉さん、元ゼミ生)すごいですね、府立大合格。難関ですよ。大したものです。この間2人に道でばったり会って、聞いたら教えてくれまして」
「いやあ、私もびっくりしました。ネットで合格発表見てて『おかあさん、私の番号あんで』って。いつもの調子ですわ。せんせが聞いてくれはったって言うてましたわ。気にしてくれてはったんやって」
「中学ん時にしっかり基礎ができましたしねえ。よくがんばりましたよ」
よくできる子でした。


お金をいただいて感謝される仕事ってなんか変ですね。生活の糧を得られるだけでもありがたいのにかかわった人に喜んでもらって、こっちもうれしいです。

いただいている以上に返してやりたいとは常に考えていますが、それがなかなか伝わらないこともあります。伝え方が悪いんでしょうね、きっと。歯がゆい思いをすることもあります。30年もやらせてもらっていますがまだまだ修行不足です。


我が家のドラセナコンシンネです。かれこれ10年近くになるでしょうか。最初2本あったんですが1本は3年目くらいに萎れてしまいました。残った方も時間の問題かなと思っていましたが幸い元気に育っています。上に伸び過ぎて数年前から自重に耐えきれず茎が曲がり始めました。

その曲がった茎の一番床面に近い部分に根っこようのものが垂れ下がっています。
生きようとする生命の執念、いやもっと普通に本能なんでしょうか。いつまで元気で生きていてくれるかわかりませんけれど、今後を見守りたいです。

私の今後もどなたか見守ってください。

いや他力はいけません。自分で自分の今後を見守ります。

『八日目の蝉』

2013年03月27日

「ストレス耐性 強い人の共通点」とヤフーニュースにあります。

「働く中でストレスを感じないようにするのは非現実的。だからストレスは『受けて当然のもの』と考えるべき。受けたストレスをいかに発散するかが肝心」なようです。

でそのコツはというと。

「とにかく“自分のための時間”を定期的に作ること。短い時間でも良いので、自分の趣味やスポーツなど、100%自分のために費やせる時間を確保すること。休みがあっても、ずっと寝ていたり、家事に追われたりではストレスは解消できない。それらを削ってでも、自分が楽しめることに没頭する時間を意識的に作ること。“自分のために時間を使えた”という実感が重要」だそうです。

ふ~む。言い得て然り。納得できるかな。

私も人並み(以上に?)にストレスはあるんでしょう(かね?)。自分のために100%費やせる時間と言われるとちょっと疑問符も浮かびます。

走っているときは邪念もあり、仕事のことが頭を過ります。ある意味無心になっているのも事実です。
読書中は他のことが思い浮かぶと文字を追うだけになり中身が通り過ぎるんで集中します。現実逃避にはもってこいです。
ブログを書いているときはさすがに無心という訳にはいきません。日日思うことを、その日あったことを書きなぐっていますからね。

毎夜毎夜、性懲りもなく思いのままに更新しているこれをお読みくださる方はどう読んでくださっているんでしょうか。
「なんの悩みもないバカ親父」というのが一般的なつゆはらくん評でしょう。まあそれなり抱えていますが、ね。

それなりストレスもありますよ。

昔ある人に言われました。
「あなたは気いつかいのふりしてるけど、人のことを気にしてるみたいやけど、実は全然そうやなくて自分のことしか考えてへんねん」そう、そうなんでしょう。私はそんなやつなんですかね。

一応自分なりには他人のことを考えているんですが、それは自己満足なんでしょう。さっぱり他者のことは思いやれていないんでしょう。

56歳になってやっとちょっとなんとかそんなことができるようになったかなあ~? まだまだかも。死ぬまでには身につけたいですね(それでは遅いやろ「ですね」)。


現実逃避の一手段、読書です。
『八日目の蝉』読みました。なかなかおもしろかったです。映像なら最高だったのかなとも思います。(知りませんでしたがなったようですね)
文章ならちょっと違う最終場面にしてくれた方がよかったかなとも思いますが、それはわたくしごときが云々することではありませぬ。

角田光代さんにはもう一つ誘拐を題材にした『キッドナップツアー』というのがありました。『八日目の蝉』とは違い誘拐が素材とは思えぬ作品でした。微笑ましさもありながら泣けたり考えさせられたりという逸品でした。


さてやすませてもらいましょう。現実逃避の読書とともにね。

つばめいずこへ、さくら満開、京都はええとこどっせ 

2013年03月26日

ツバメがあちこちで気持ちよさそうに鳴いています。大空をさっそうと滑空する姿も目にします。案外早くから活動しているんですね。

ゼミのコシアカご夫妻は冬は越したんですがあったかくなりかけた2週間ほど前から行方知れずです。どこへ行っちゃったんでしょうか。まあ元気でそこいらを飛び回っているんでしょう。巣作り、子作りのころには戻ってきてくれると信じましょう。
「待ってるで、来てや」


さくらがちらほらですね。京都以外ではけっこう早く開花し東京などではすでに満開をむかえているようです。京都はこの土、日が満開じゃないんでしょうかね。例年に比するとずいぶん早いさくらのお目見えです。時機を逃さず楽しみましょう。愛でましょう。

他府県の方も多く入洛されているようです。車のナンバーや耳に入るお国ことばでそれが知れます。日本に住む人なら誰もが一度は訪れたいと思う京都に住んでいることを自分の手柄ではありませんが、誇らしく思います。

春夏秋冬、すべてにそのよさがあります、よ。
春のさくらはどこへ行っても美しい。
夏は暑いが送り火は見てほしい。
秋の紅葉、黄葉は映えます。
冬の雪積もる金閣は秀麗です。

ぜひお訪ね下さい。京都はええとこですし。

自転車

2013年03月25日

今日は自転車。寒かったです。
出てすぐ引き返そうかという弱気のムシが出ましたが、自分に喝を入れるつもりでそのまま行きました。風が強くてなかなか進みませんでした。

生徒たちは天気にかかわらず自転車か徒歩と選択の幅が限られています。雨の日は車で送迎してくれるお家もありますが。今年卒業したFYくんはどんな悪天でもカッパを着て自転車で来ていました。それなりの事情、考えがあるんでしょうが、いつも感心させらていました。

帰路は寒くてちょっと参りました。薄めのウインドブレーカー上下、薄めの手袋を装着しましたが手と耳が痛いくらい、いや痛かったですね。


自転車は便利です。歩くと遠い、走るにはそぐわない。そういう場面で活躍してくれます。坂道はしんどいですがね。さすがに体力の衰えを感じました、今日は。
最後の上り坂は喘ぎました。走るのとは違うしんどさをもっています。
ちょっと情けなく思いました。

自転車は便利です。行動半径が広がります。北海道在住時にあればよかっただろうに、と今さらながら思います。あの頃はほとんど徒歩でどこへ行くにもずしずしすたすた歩いていましたね。
高校ん時は定期代をこづかいにしたいばかりに片道45分を歩いて通っていました。よくもまああの厳冬を毎日歩いたものです。
あの頃に自転車があればと思いつつ、冬は使えないしやはり現実的には無理かな。

いや今なら使っている人たちも多いいんじゃないでしょうか。
時代が違いますよね。今はなんだかんだ言って日本は裕福になりました。

いや裕福にはなりきれない現実が潜在化、顕在化しているのも事実です。
日本という大きな範疇はもちろん、私個人をとっても、どなたもこなたもいっぱい問題を抱えているんではないでしょうかね。

まあそんなこんなを抱えつつの人生をみなさんがんばっておくっていらっしゃるんでしょう。


私もいろいろ抱えつつ日日やらせていただきます。

とりあえず

2013年03月24日

四条まで走ってきました。岩倉からですんでふつうの人はやりませんね。そう私は常人にあらず、です。走る人にはふつうですね。

走り始めてすぐ背筋が痛くなってやめようかと思いましたが続けました。
今もまだ痛いです。この痛みは、はじめての部位ですね。(あんた牛肉か? いや俺は骨骨やしまずいで「やろなあ」)

PCが末期的な状況でiPadで更新していますが、いつどうなるかわかりません。

けっこう、どうでもええことをいっぱい書いたけど、どうでもええことやしどうでもええんですよね。

とにかく一応、更新だけはしておきます。

20km 走って借金を少し返済しました。無理のない範囲でやります。

きっぱり

2013年03月23日

昨日お伝えした土筆の写真です。相変わらず焦点の甘いそれです。実物は目にできない方もいらっしゃるでしょうから春の訪れを感じていただければ幸いです。探してもなかなか見つかりませんからね。

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右は鴨川のサクラです。東京などでは開花、満開が早くて混乱すら生じているようですが京都はまだちょっと先のようです。

午前中ロボット。その後紙仕事。帰って走るか散歩か悩んで散歩を選択。10km くらい歩いたかな。
収穫はありませんでした。


春の甲子園で遠軽高校が勝ちました。北海道に縁のある人間としてはうれしいです。
史上最北の出場校のようです。地図でお調べください、その位置を。サロマ湖の西南西です。
まだまだ「北」があります。稚内や士別、名寄の高校にがんばってもらって「最北」を更新してもらいましょう。

かの地は雪に覆われています。選手たちは日本の広さ、南北の違いを実感しているでしょう。
冬に練習できないハンディキャップをものともせずにがんばってくれ。応援するぞ!!

明日は休みなんで走りましょうかね。借金完済はまだ先ですが近づけます。(きっぱり)

おやすみ

2013年03月22日

午前中、用事を片づけ軽く走りに出ました。暑かったですね。汗だくです。体内距離測定計の予想通り12km 。最近ほとんど誤差がありませんね。借金を少し返しました。

その後大好きな散歩へ。土筆を見つけました。写真を撮りました。カメラとパソコンを繋ぐ線が不明で取り込めません。明日以降にお披露目します(え、別に見たくない。そういう人は目をつぶっていてください)。

京都もさくらの開花宣言が出たと小耳にはさみましたが鴨川のさくらはまだまだ「つぼみ固し」といった感じです。これも写真を撮りましたがおあずけです。


で、その後いろいろありましたんで、ここまでで勘弁しておくれやす。

TOYOTA HONDA VOLVO

2013年03月21日

中1、YSくんがお父さんといっしょに入塾の手続きに来てくれました。お父さんも教え子。2代目が入ってくれることになりました。
「お父さん、そっくりやね」
「よお言われます」
素直そうで礼儀正しい子でした。せっかく来てくれたんです。喜んでもらえるよう力を尽くします。
お父さんの中学時を懐かしく思います。時の流れが染み入ります。


今日は授業はお休み。ゼミの春休みにさせてもらいました。

ゆっくりすりゃいいんですが、それは性分としてできません。
帰宅後すぐにタイヤ交換。あまり活躍の場が与えられなかった冬タイヤを夏のそれに換えました。近畿オートさんでやってもらうと2,100円(ガソリンスタンドなどだと3,000~3,500円くらいかかりますよね)です。行くのが面倒なのとちょっと節約をと思い自分でやりました。
タイヤがでかいんで重い! 2,100円を節約して腰を痛めては本も子もないし慎重にやりました。

最初こそ戸惑いましたがコツを思いだすと簡単。45分ほどで4輪交換。上出来。

ガソリンスタンドへ行って空気を入れてもらいました。ただ入れてもらうのは気が引けるので気弱な(はあ? 誰が)つゆちゃんはふだんはしないハイオク満タンをお願いしました。

洗車もしようかなと思いましたが数台待っているようだったんでやめました。水洗いだけですが久々にボルちゃんをきれいにしてやりました。
いやあ、まだまだ肌つや美しいです。若々しいよ、彼女(女性やったんやボルちゃん「いや、あの、そのまあそういうことにしておきましょう」)は。末永くお付き合い願います。


死んだ父親が残したカローラが初めての車。
その後、自分で買ったカローラクーペ。(今「クーペ」という言葉はいきていませんね)
その後、初代デートカー(これも今や死語ですね)と称されたHONDA プレリュード、同じくHONDA のインスパイアと乗り継ぎました。

それぞれにそれぞれの思い入れありやなしや、あります。

ボルちゃんは5台目かあ。思えば少ないですよね。30年の免許歴ですからもっとあって
もいいでしょう。

HONDAが好きでした。

「いつかはクラウン」ではなくて「VOLVO」と思っていました。自分には分不相応とは思いつつ叶えることができました。今、そのボルちゃんとのお付き合いは11年目を迎えましたね。

私とボルちゃんと、どっちが長生きできるか勝負しょうか。
おもろいな、それも。

鳴沢了

2013年03月20日

せっかくの休みが雨でした。走ろうと思いましたが叶わず。(午前中は走れましたが、読書だらだら)

ちょっと仕事をした以外は家で本を読んでいました。


こんだけ書いてずっと2時間くらい停滞中です。


『血烙』を読んでいます。おもしろくて、頁をめくりたくなる一冊です。
刑事、鳴沢了がアメリカで活躍します。ちょっと現実的ではない面もありますが、実際自衛官や警察官が研修で海外赴任もあるよう(たぶん)ですから、荒唐無稽ということではないんでしょう。
彼は酒も煙草もやりません。暇があればダンベルをつかって鍛えています。空腹でも深夜の摂食は避けます。理想の、いや実際に活動できる刑事であるべく己を律するヒトです。どこかのだれかもちょっとだけでも見習うべきでしょう。

どこかのだれかも禁酒禁煙をすればいいんでしょうが、俗人中の俗人ですから無理でしょう。

せいぜい筋トレと走りで勘弁してもらいましょう。

今少し鳴沢了に近づけるように努力します。

自転車

2013年03月19日

ぽかぽか陽気に誘われて自転車出勤。しかも遠道して。汗ばむくらいでした。
正直言ってこの冬は一日も自転車なし。車ばっかりでした。だらけ男の本領発揮でした。暖かくなったし少しでも節約、環境などを考えチャリンコに親しみましょう。真夏、真冬は厳しいですがなるたけがんばります。

自転車で走ってしみじみ思うのはその存在-歩道を走れば歩行者の迷惑、車道を走れば自動車の邪魔になるという-の中途半端さですね。なんとも気をつかいます。あちらを立てればこちらが立たず、いや常に立たないのが自転車ですね。

それにしても自転車に乗る人、もうちょっと回りに気配りがほしいな。狭い歩道ですれ違うときは相手の動きを察知して方向を決めましょう、よ。それが無理なら止まってやり過ごす余裕をもちましょう。私は相手に判断力がないなと見切ったときは止まって先方が通り過ぎるのを待ちます。その方が安心、安全、気も安らかです。

小学生のころ学校で「自転車安全講習」みたいなのがあったような記憶が。校庭でS字や一本板通行や、左右折時の手の挙げ方を習って合格してはじめて公道で自転車に乗ってよいという許可がおりたようなそんなことはなかったような。遠い昔過ぎて定かではありません。

不思議に思うのは私は自転車を持っていなかったと思うんです。つましい暮らしのつゆはら家では私に自転車を買い与える余裕がなかったと思うんです。でも自転車には乗れました。その稽古をした覚えもあります。補助輪をつけて乗って、それを外して父や母と練習しました。
「持ってるで」という声を頼りに必死にこいで乗れた覚えがあります。となるとやはり自転車を所有していたのかな・・・・・・ちっちゃいのはあったかもしれません。
高学年になった時はなかったかなあ? よしだかずと(実名です。どこでどうしていますかね)くんの自転車を借りて得意満面で写した写真が実家のアルバムにあるはずです。

その後(小6時)北海道へ越し、自転車無用の生活でした。11月末から4月までは雪、氷の世界ですから止む無しです。でも、ものすごくほしかった記憶はあります。

んで大学入学後すぐ、いや夏休み後かな、バイトのお金で買いました。うれしかった。けっしてそんなにいいもんじゃあなかったんですがね。うれし過ぎて自分の足元を見て乗っていて電柱に激突。ちょっとフレームが曲がっちゃいました。あの子をいつどういうふうに手放したか覚えがありません。
けっこう愛用したのに最期を覚えていなくてごめんなさい、ね。

今思いだしましたが引っ越しの時においてけぼりにしたかも。

その後けっこう大人になってからマウンテンバイクを買いました。11万円くらいのが運よく6万円くらいで買えました。愛用しました。休みのたびにあちこち走りました。
長女が大学時に引き継いでくれました。さすがに10年以上の酷使には耐えかねて数年前に廃車になりました。

二女が小さいころ「じてんしゃ」と言えず「でてんさ」と言っていたことも思いだされます。


昔を思うと「自転車」ひとつとっただけでも、いろんなことが頭んなかを過るね。

そんだけ長~い、長い人生を送ってきたんだね。

ありがと、やすませてもらいます。

過去、現在、未来

2013年03月18日

愛車ボルちゃんの走行距離が111,111km になりました。1が6つ並びました。なんかいいことあるかな。あったらいいね。今日はなかったけど・・・・・・
次のぞろ目は222,222ですね。それまでもちましょうかボルちゃんが、いや私の方があやしいですね。単純計算だと11年後ですからね。66歳になります。厳しいかな。

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11年前の自分には11年後の今の自分はまったく想像だにできませんでした。そして今その11年後を生きています。今から11年後の自分がどうなっているかもまったく想像できません。いかなる未来が待ち受けているんでしょうかね。

通ってきた過去、生きている今、これから迎える未来。時の流れは速いような遅いような、人生長いようで短い、短いようで長い。
10年一昔と言いますが、56年も人生を過ごしてきました。半世紀です。
子どものころはもちろん自分の人生設計なんて考えたこともありません。20、30のころもなし。今でもないわ。そう、なんの当てもなく徒に過ごしてきたんですね。

まあ順風満帆には程遠いけれどなんとか人生いきているんだしありがたいことと感謝しています。


今日はいろいろ考えさせられた一日でした。

もっともっときちんと考えなければいけません。

考えるだけでなく実行に移すべきを移さなければなりません。

半世紀を生きた人間の書く文章ではありませんね。

恥ずかしいです。まあいいか。正直なところです。

散歩、大好き

2013年03月17日

予定より遅れたもののお散歩にでかけました。
鴨川沿いを中心に10km ほど歩きましたか。付き合ってくれた家内の歩数計で16,000歩です。ふつうのお散歩ではなかなか歩く距離ではありません。おつかれさまです。(俺は平気だけど家内はしんどかったかも)


早咲きのさくらが。そこにヒーヨとメジロかな、花の蜜を吸いに来ていました。

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濃淡2色のさくら色です。

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出町付近の中州に四足の獣の気配。目を凝らすとヌートリアです。(その時は名前が思いだせず帰って調べました。新聞で読んだ気がしたんで「鴨川 外来種」で検索すると一発で当たりました。ネットはすごいですね)

なんでも軍隊の毛皮用に輸入されて、需要がなくなったものの繁殖し九州、北海道以外の各地で生息しているそうです。

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誰かがペットとしてもてあまして捨てたのかと思っていましたが違いました。
長年、鴨川とは親しんできましたが、ヌートリア目撃は初めてです。

いやあ、やっぱり散歩は楽しい。いろんな出会いがあります。お金もかからんしな。

みなさんも時間があるときぜひおでかけください。

春が来た、かな

2013年03月16日

午前中の仕事、昼食を終え昼寝。いや違う、腹ごなしを兼ねて気になっていたサンルーフ回りの修理。なんちゃって、そんなたいそうなことではありません。両面テープでちょちょいのちょい、と思いきや取り付け位置の確認などで意外と時間がかかりました。(小一時間)

その後試走。解決。びびり音が消えました。サンルーフの開閉も問題無し。
こんなことならもっと早くやっておけばよかったです。でも忙しかったしね。
やっと時間と気持ち(の方はまだかも)に余裕ができてよかったです。


まだ胃の中のものは消化しきっていませんでしたが走りに出ました。あったかかかったんですが風が強くて走りにくかったです。2時間20km で今月は100km です。このあとは1、2月で抱えた借金を少しでも返せるよう励みます。借りは80km 以上ありますから今月だけで完済は厳しいかもしれませんがやるだけやります。


途中見かけました。あったかさを感じて咲いた白と黄のタンポポです。

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野の花は敏感です。

春が来ましたかね。

明日は休みです。のんびり散歩でもしましょうか。したいな。

卒業おめでとう

2013年03月15日

サンルーフのびびり音の元を確認しようと少し開けました。すると「ゴン」と音がして何かがとれました。
「?」
見るとなんか鉄製の枠のような部品でした。
「ふむ。大勢には影響はなさそうやな。これがなくても雨漏りはしないだろう」
強力そうな接着剤でくっつけてあったのが長年の使用に耐えかねて外れたんでしょう。

キーも回りにくい時があるし、右のドアミラーは手動でなきゃ動かないし、計器盤の照明は消えてるし、細かいところを点検すれば不具合がいっぱい。でもアクセルを踏めば加速するし、ハンドルを回せばちゃんと回転するし、ブレーキを踏めば止まるし、根本的なところは大丈夫です。まだしばらくは乗るのに支障はありません。

11年、11万km を走ったんで少々の不調は止む無しです。

この週末で時間をつくって両面テープででも直してやりましょう。ついでに洗車もしてやろうかな。大事にしてやらねばね。

56年、何万km を走ってきたか不明の我が身も大切にしてやらにゃならぬかな。


今日の空です。
ちょっと薄めの青色ですがきれいです。けっこうすっきりしている私の心境に近いかな。いや私のそれより数段上の澄みようです。

今日は公立中学の卒業式でした。その巣立ちを祝いつつやすませてもらいます。

「ご卒業おめでとうございます」

Aさん、フランスかあ

2013年03月14日

原谷へ向かおうと車へ。
途中前から来るご婦人を見るとIさんです。
「こんにちは。寒いですね。みなさん元気にされてますか。Aさんは?」
「A、今フランスにいるんですよ。結婚してね、相手は日本人なんですけど・・・・・・」
「え、フランスですか。へえ~すごいなあ。弟さんは?」
「Yですか。もう33歳ですわ。すっかり歳をとりました」
「わたしなんかおじいちゃんです」とかなんとか。
Aさんは保母さんになりたい、そのためにはH女学院へどうしても行きたいと考えていました。当時は私学は強気。H女学院はオール4でも足りないくらいの難関でした。Aさん、中3の1学期は9科29でした。それをがんばって2学期には38にしました。そして願いを叶え進学。その後彼女に会うと保母になるにはS女学院の方がいいらしく、そちらに進み保母さんになりました。

そんな彼女が今はフランスですか。かっこええな。会ってみたいな。相変わらずしっかりしてんねやろな。フランスでの活躍を祈ります。

私もこの先負けぬように活躍しよっと。できるかな・・・・・・


久々に気難しい我がPCちゃん、機嫌悪いです。
尻切れトンボですがここまでにします。

ゴム学生

2013年03月13日

「ゴム学生」がふえているという話を聞きました。
「ん?」
「ゴム」ではなくて「五無」のようです。
「勉強しない」
「サークル活動をしない」
「アルバイトをしない」
「友人をつくらない」
「恋愛をしない」
いったいなんなんでしょうね、これは。生きていてなんもおもしろくないと思うのは私だけでしょうか。人とかかわることを避けていてこの世は送れませんが、完全に世間との接触を拒んでいるとしか思えません。
私も勉強はしませんでしたがその他は積極的に、果敢に挑みました。勉強はしなくても
いいけれど他の4つがなかったらなんの面白みもありませんやん、毎日が。

確かに今の若い人(に限らないかも)を見ていると、他人とうまく意思伝達ができない方がふえている気はします。もちろん一部でしょうし、それを一般化するつもりはありませんが、首をかしげるような場面に遭遇することも少なくなくあります、ね。(なんや、ややこしいな。二重否定か)

これからの日本を背負う方たち、若い人たちには今少し社交性を持って歩んでほしいですね。なんて言っていますが私もそれを持ち合わせていませんね。初対面に限らずあまり親しくない方と食事をごいっしょなんていうと緊張しますし、食べた気がしないような面もあります。

まあ、けっこう恥ずかしがりやなんです実は(だれが?「俺」)。


小3MTくん。校内実力テストで前期、後期とも1番のようですね。そりゃそうでしょう。普段見ていても賢いもんな。俺よりずっとすごい。(あ、いや私は全然賢くないんですよ「言わんでもわかる」ですよね)
うれしいですね。そんな子と毎週接点が持てて楽しく学べるんは。彼の将来を見届けたいですね。


朝から定例会でしたが「五無」にせよなんにせよ学べることは数多いです。知らないことがいっぱいです。昔の偉人は路傍の石にも学べと言ったとか(言わなかったか)。
そう人生すべてが学びです。この先如何に生きるかを学びつつ生(行、逝)きます。

それなり

2013年03月12日

中3Fくんのお母さまがご挨拶にみえました。彼は特色選抜で洛北高校に合格を決めています。彼は入塾後よく伸びました。「洛北へ行きたい」という気持ちを早くから強く持っていたのがよかったんでしょう。表には出しませんが負けん気も強かったし、疑問点は即座に質問していました。高校でも今以上に伸びるんではないかなと思います。野球との両立を目指してがんばってほしいです。

実はお母さまも教え子です。彼女の当時を思い出すと感慨深いものがあります。中3だったMさんが母になってその息子の進路相談で向き合う。なんか変な感じがします。時の流れを思います。だいぶ前です。何年前かはわかっています。あまり正確に書くとお母さまの歳がわかります。それは避けましょう。女性の歳は禁物です(よね)。

そう言えばこの間来てくれて4月から中1の息子さんが来てくれるY谷くんとFMさんは同期ですね。昔の生徒が父、母になり、私はおじいちゃんの心境です。

小学生の生徒と話していると、おばあちゃん、おじいちゃんが私より若いこともあり脅かされます。でもまあそうあっても不思議ではない歳になったんですね、私も。
三人の娘らはそれぞれ27、25、23歳に今年なります。孫がいてもいいんかな。自分がじいちゃんになる人生は想像の外ですね。まあなったらなったで受け入れますが、ちょっと考えにくいです。いつかそんな日がくんのかな。くるんでしょう。


人の親になり、じいじになるなんてことは若いころは想像だにしませんでした。生きていれば自然そうなるのは自明の理です。

親になった時は誇らしい気持ちをもちました。責任の重さより我が子が生まれ育つことに感動すら覚えたな。3人とも成人した今はもう彼女らなりに好きに生きてくれという思いが強いです。
無責任かもしれませんが、もうやつらも大人やし俺がとやかく言うまい。助言を求められればできる範囲でこたえましょう、というところです。

まあ実際俺も彼女らも好き勝手に日日をおくっています。

親だから子だからというより一人のヒトとして生きています。

相互扶助の気持ちはありますが、それぞれそれなりの人生をしっかり歩んでいきます。

壁に耳あり障子に目あり

2013年03月11日

朝時々行くパン屋さんへ。
「昨日走らはったんですか?」
「いや」と言いながら頭の中には?マーク。彼女に私が走っているということは話したことはない。なぜ?
「外れて走れなかったんです」
「え、そんなんなってんですか」
「はい3倍以上の競争率なんです。大阪は6、7倍です」
「へええ、いや走ってはんのんを何回か見かけてましたしね」なるほどそういうことかと納得。どこにどなたの視線が潜んでいるやわかりませんね。今後は走るときも背筋を伸ばして品行方正、公明正大でいきましょう(相変わらず訳わからんこと言うね「はは、そやね」)。

もちろん人の目がなけりゃええ加減という訳ではありません。いつもそういう態度を心がけているつもりではあります。
(ほんまかいな「そうかいな。じゃなくて心がけています」心がけるだけは誰でもできるで「そやなあ、人目がなくてもそうするわ。してるけどな」そやな、あんたはようやってるで「ありがと。自分でもそう思うときあるわ。もっと適当にやったら楽なんやろねでも適当というのはな・・・・・・それはできひんな。いろいろありますわ。誠実にやってるつもりやけど、なかなかしんどいね。まあ、でもそれしかできひんし、信じてやりおおしますわ」がんばれよ。誰かが見てくれてはるで「そやね」)

なんか自画自賛、愚痴満々になった。このあとどうもっていこ、おさめどころがない。

さてどうすっぺ。寝るしかないか。

みんながんばった、京都マラソン

2013年03月10日

起きて時間を見計らって応援に出ました。
北山でトップクラスのFさん(3位だったようです。すごいな。さすが箱根の経験者)を応援。その後きつね坂上り口でみんなに声をかけました。
「みんながんばれ、しんどいのはみんなおんなじだ」
「早く上れば早く下れるぞ」
ー真実やー
「走れるだけで幸せだ、俺は外れたぞ」
ーにこにこー
「ごめんね、勝手なこと言って。でも言うぞ。しんどいのは気のせいや」
ー苦笑いー
「がんばってる人にがんばれって言うのはどうかと思うけど、でもやっぱりがんばれ」
「阪神がんばれ」(タイガースのユニフォームを着た女性に)
「ありがと」
「俺巨人ファンやけど、ごめん」
女性かくっとしたような(してません)。

まるで掛け合い漫才のように声をかけます。

「ありがとう」と返してくれる人も大勢います。しんどいだろうにいいよとも思いますがそういう人にはさらに声で後押し。
「行け行けこの坂は案外短いぞ」
声をかけて目が会うとにっこり笑ってくれる人もいます。
「その笑顔があればまだいける。さあいけ、がんばれ」
「上りの後には下りが待ってるぞ」
「がんばれば早く栄光のゴールにたどり着くぞ」などなど、好き勝手なことを出たとこ任せで言わせてもらいました。けっこううけましたね。しんどそうながらもみんなにっこり笑って言葉を返してくれる人もいっぱいいました。どこへいってもいつでもうけ狙いのつゆはらくんですね。近くにいるとこっぱずかしいでしょう。大声過ぎて沿道で応援している人やスタッフの方が驚いたり笑ったりしています。

「Sはまだか」とかなんとか叫んでいるとSくんやってきました。すぐわかりました。しばし並走して大声で喝をいれます。かれこれ1時間くらい叫んでいたでしょうか。喉が痛くなりました。

次の目的地は北山松ケ崎。Mさんと落ち合う約束です。道路が渡れないんで裏道をうまく抜けて向かいました。見当たりませんのでメール。しばらくするとふいに腕を掴まれました。そこにいたのは30年ぶりくらいのMさんがいました。
しばらくいろいろ話しつつやってくるご主人を待ちました。来ました来ました。膝を傷めているらしくちょっと痛痛しい感じ。
「がんばれM」と声をかけ、わかれました。

さて次はどの辺で応援しようかと思案。真っ直ぐ下って鴨川で追いつきましょうと南下。見つけたSくんに並走。

途中ショートカットして時間をつくって「ますたに」で中華そば並600円。うまかった、あったまった。(ごめん、ランナーのみなさん)

出てすぐ再びSくんに合流。彼や他のみんなに声をかけつつゴールまで走りました。彼にはいい迷惑だったかもしれません。

応援しつつ目頭が熱くなったりもしたな(なんでやねん)。でも正直走れる人がうらやましいです。走りきった後の達成感は他の何ものにもかえがたいです。それがあるから走るんでしょう。
完走できなかった人もした人もお疲れさんでした。ゆっくり感慨に浸りやりきった自分を褒めましょう。


御池まで走って地下鉄で帰宅。雨で濡れてちょっと寒かったですがいっぱい応援できて楽しかったです。20km 走れましたし充実でした。

Mさんからは無事ゴールメール、Sさんからは電話がありました。
「つゆはらさんいなかったら棄権してたかもしれませんでした。ほんとありがとうございました。とりあえずお礼言うとかなあかんと思て」
「おつかれさんでした。もう2度と走らへんぞと思ってるかもね」とかなんとか。

「ゆっくりやすんでね」

大声で応援し過ぎたおバカなつゆちゃんは喉ががらがらです。声が思うようにでません。なんともはやです。

今月は80km までいきました。さすがに昨日今日で50km なんで脚バキバキ状態ですね。まだまだこれからですが1、2月の借金を少しでも返すべく走ります。(その前に仕事せんとな「だな」)


では。

みんながんばれ! 京都マラソン

2013年03月09日

昼から休み。
「走りましょう」とでかけました。
「京都マラソンのコースをなぞって西京極まで行こうか」と行ってきました。
けっこうしんどかったです。終盤はしょろうかと思いましたがそれは走り屋魂(そんなんあんの?「知らん」)に反するのでちゃんと最後競技場まで行きました。

そこから阪急と地下鉄を乗り継いで帰る予定でしたが
「阪急代節約しよっと」と烏丸まで走りました。(まあ30km にしたかったのがほんとの理由です)よくやります。かなりしんどかったです。

五条で地下鉄に乗りましたが立っているのが辛かったです。
膝上パンツとランシャツ2枚重ねの格好だったんでちょっと恥ずかしかったです。その上五条駅に着いた電車はほぼ満員。汗臭おじさんは気をつかいました。
四条でたくさん降りたんで空きました。じっとしていられなくて屈伸運動をして怪しいおじさん状態でした。
前から走るだけ走って帰りは交通機関という考えはありましたが、できれば走って帰る方がいいでしょう。(ただ今日はそれをやるとフルの距離を超えそうでしたし暗くなったんで、というより限界でしたんで地下鉄を選択しました)

今度は逆に公共交通機関でどっかまで行って走って帰ってくるというのもやってみてもいいかな。

「30km やな」と思って距離測定サイトで確認すると29,8km でした。実際はもう少しいっていると思うんで今日の走行距離は30km ということにさせてもらいます。


明日は京都マラソンです。わかっているだけで知人が2人走ります。年賀状のやり取りしかしていなくて1人は20代後半に会ったきりくらい。最近あることで奥さん(彼女も知り合い)とメールのやり取りがあります。
もう1人は十数年会ってないかな。年賀状に「僕もとうとう京都マラソン走ることになりました」とあったんで連絡してみました。
ウエアの色とゼッケンナンバーは聞いていますがたくさんの中に紛れるとわからないかもしれません。

もう1人トップクラスの選手を応援するつもりです。西中出身でお母さまととあることで知り合いになりました。彼は箱根のアンカーを走った兵(つわもの)です。お母さまの言によると入賞を狙っているようです。楽しみですね、その走りを見るのが。
速さと距離を考えてふさわしい場所にいないといけません。先のお二方についても同様です。

天気予報が「晴れのち雨」というのが気がかりです。せっかくの晴れ舞台、文字通り「晴れ」で気持ちよく走っていただきたかったんですが、天気には勝てません。

私も走りつつ応援して30km くらい走れると踏んでいました。雨だとちょっと事情が変わります。それでもって今日の30になりました。さすがに脚、尻が痛いです。


明日出場されるみなさん、無理のないようがんばってください。自己ベストを目指すもよし、なんとか完走でもいいじゃないですか。

フルの醍醐味は完走したときの達成感でしょう。味わってください。走れるみなさんが羨ましいです。

諸説ありますが私としては35km を過ぎて今出川を銀閣寺へ向かうのが一番しんどい走路でした。

ともあれみなさんの健闘を祈ります。

初心

2013年03月08日

朝セブンイレブンへ。
研修中の名札を付けた新人さん、かなりの緊張が読みとれます。お釣りを渡す手が震えています。思わず心中「がんばれよ」と唱えました。

初々しいですね。私の人生で手が震えるほどの緊張を感じたことはありましょうか。あんまり記憶にありません。けっして図太い人間ではないのであったかもしれません。人生長くなりすぎて覚えていないんでしょう。
物事に慣れ過ぎて緊張や初々しさから遠ざかってしまいました。ある意味それらを大切にしていつも謙虚に初心を忘れずに生きていかなければいけません。


ゼミ裏のアジサイが新芽を吹きました。さて今年は花をつけてくれるでしょうか。

見守ります。


朝ゼミで紙仕事。電話が鳴ります。
「はいつゆはらゼミです」
「先週体験に行かせてもろたKです。ありがとうございました」
「あ~、こちらこそありがとうございました」
「いや、あのときも言うてましたけど、よその塾にも見学に行かしてもろたんですけど、Kが『つゆはら先生の授業がわかりやすかった。ぼくつゆはら行きたい』って言うんですよ。今まであんまり自分の意思をはっきり言わへん子やったのにはっきり言うんでうれしくて・・・・・・」
「いやあ、そう言ってくださるとわたしもうれしいです」
「ずっと塾どうしたらええんやろと気にかかっていたんですけどすっとしました。来週から通わせてもらっていいですか」
「本人さえよかったら今日からでも来てください」来てくれました。
せっかくうちを選んでくれたんですから喜んでもらえるように精一杯やらせてもらいます。


WBC、日本勝ちました、ね。追いつ追いつ、追っかけてばかりで劣勢でしたが最後はみごとに逆転で勝利しました。よかったです。遅くまで見ていて眠くなってしまいました。明日も朝からロボットなんでやすませてもらいます。

重松清さん

2013年03月07日

『季節風 冬』重松さん、読みました。
引き返せない人生、やり直しのきかない中年。
「こんなはずではなかった」と悔いる青春。
ほろ苦さや甘酸っぱさがよみがえります。
心に染み入る話が綴られます。

彼、重松さんはいかつくて一見は強面です。人の心の機微を描かせるとすばらしいです。その風貌からは想像できません。人を外見で判断してはいけませんね。

続いて日明恩さんの『埋み火』にかかりました。(あんた仕事してるか?「え、はあまあ一応」一応ね。ちゃんとしいや「へい」)
息つく暇もなく仕事をして、できた寸暇で毒素。ちゃう読書しています。(ほんまかいな。仕事せんと読んでんちゃうん「いや、そんなことあります」あるんかい」


ここまで9,140頁21冊。1冊平均435頁ですね。大部が多いんで頁数もふえています。100を読むことだけを考えると、うすいのを読めばいいんですが、やはり好みにあったおもしろいものを読まなけりゃいけません。それだから頁が進むんですよね。これを書いている今も本に戻りたい気がしています。


まあ読書はほどほどにして明日からしばらくきばって多忙を乗り切ります。


北野天満宮

2013年03月06日

「雨降んないしパンジーに水やろ」と如雨露を持ちます。そこに小型自動二輪が止まりフルフェイスヘルメットのライダーがにっこり微笑みます。
「誰かわかる?」
「え、Mか? いやAくんやな。いくつになった」
「二十歳」
「そうか、もうそんなんか。誰といっしょやったっけ?」とかなんとか。彼は定時制に進み、その後大工の専門学校へ通っていました。中学の時から大工になると明言していました。
「4月から大工すんねん。宮大工」
「そうか、いよいよやな。よかったな。うれしいわ」
「よう、ここ通るしつゆいいひんかなあって思っててん」そうため口、私を「つゆ」と呼ぶのは彼くらいです。
「如雨露持ってるし絶対そうやと思たらやっぱりつゆやった」会いたいと思っていてくれたことがうれしいね。
まだまだ一人前とはいきませんでしょうががんばってほしいですね。将来は西岡常一さんみたいになって法隆寺なんかを修復してね。


天神さんへお参りに行ってきました。あったかくて大汗をかきました。
公立受験生と今日、佛教大を受けているであろうSSくん、国公立発表待ちのMNさんやIAさんの合格をお願いしてきました。

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梅はまだ五分前くらいかな。もう少しあとの方がいいでしょうか。いつもより遅い気がします。

神頼みでどうなるものでもないのはわかっていますが恒例、気持ちの問題です。

みんな合格してくださいね。


出し切ってね

2013年03月05日

『遮断』を終えました。高城賢吾を主人公とする堂場さん作品の最後です。これで次作が本になるまで彼に会えません。言いようもない寂しさを感じます。(大袈裟やな「いや本心ですよ」)

こういう経験はお持ちじゃないでしょうか。彼が主役を務める作品を7冊読んだからかもしれません。いや彼の人柄にひかれるものを感じたからでしょう。悩める大人です。

煙草を手放せず、「角」を喉に流し込むことで平安を得ているのかな。けっしてアルコール中毒ではありません。愛娘失踪とそれを機にする離婚という耐えきれない経験をへて失踪課で刑事人生をおくる高城です。妙に共感を覚え、応援している自分がいます。みなさんはそんな経験はないですか。

その昔クライブ・カッスラーの小説に登場するダーク・ピットに肩入れして同じような心境を味わいました。(というか、あまりにかっこよすぎて憧れました)それ以来のことです。

また彼に会うまで、もう一人の刑事、鳴沢了氏と親しみましょう。
こう書くと鳴沢くん(友達か?!)が魅力的じゃないように思われます。そんなことはありません。十分にかっこいい人間です。高城とは正反対。刑事であるために自分ができるだけの鍛錬をつみます。カロリー計算もやるダイエット女子のような面も持ち合わせますが、それは自分があるべき刑事像を追い求めるが故の禁欲的なやつです。

不器用ですが魅力ある人間です。
そういえば最近大友鉄(彼も堂場さんに出てくる一人です)と会っていませんね。元気にしてるかな。なんちゃってね。

またの機会に彼らを紹介しましょうか。(え、いらん。そうでしょうね)


手持ちに日明さん、重松さん、角田さん、堂場さん、東野さんがあります。どなたにしましょうか。(どんだけ持ってんのん「なんか、手元に余裕がないと不安なんです。活字中毒でしょう」)

どれへいっても外れはなさそうです。それだけに迷います。あ~楽しみだ。あ~悩ましい。


明日は公立入試です。みんな力を出し切ってね。

私は天神さんへ行きましょう。走ってね。

青は藍より出でて藍より青し

2013年03月04日

公立入試前、中3最後の授業でした。
6日が当日なんで前日の明日はみんな休むようです。
6年から1年、長短はありますがそれぞれにいろいろな思いが過ります。
ありがとうね。
さびしいね。

毎年のことですが29回繰り返してきたんですね。30年目かあ。長いですね。けっして気が長いわけでもなく、根気もない私がよくもまあやってきました。
ほんと、もう、ずっと遠くにおいてきた過去を思い出します。


創立1年目、いきなりみんなを連れて愛宕さんに登りました。雪の多かった年で7合目から参道に残雪がありました。
当時あった高野のスケートリンク(今のカナートです。若い人は信じられないでしょう)へも行きました。
信楽で陶芸もしました。
明日香で史跡も巡りました。
鈴鹿の遊園地も楽しみました。
久多でキャンプもやった。

家出をした子を捜したこともあったな。
教室で生徒が殴り合いをしそうになって止めたこともあった。
どこかの悪ガキが爆竹を鳴らして困ったこともあったぞ。

同志社中に落ちた子の涙にもらい泣きしたな。彼女は堀川一期生で公立大へ進み雪辱を果たしたな。
その同窓生も東北大へ進み今はどうしているんだろう。京大の院で勉強しているというのが最後の情報です。
京都成章へ特待で進んだNRくんはNTTで研究をしています。
立命館中に合格したYAくんはその後中高大を経て、ANAでパイロットをしているはず。

やんちゃで困ったHMくんは土建関係の社長さん。
気弱だったNくん、高校は中退しましたが今は理髪店を経営。
NKくん、ONくん、Yくんは飲食店をやっています。
MMくんはIT関係でかなりの地位まで上り詰めました。
ISくんもこのHPをつくってくれて今でもお世話になっています。


こんなふうに振り返るとみんな私よりしっかり人生を送っているんじゃないかとしみじみ考えさせられます。


出藍の誉れですね。


私も教え子たちに負けぬようけっぱらにゃ、ね。

しらす、桜エビ、『埋み火』

2013年03月03日

昼過ぎに仕事を終えました。
今日は走ろうと思っていました。朝から京都マラソンの下見であろうランナーたちを目にしました。
「いいなあ」と。来週です。走れない分、そのコースを一部でもなぞろうと思い出かけました。ところが思いだせるところとはっきりしないところがあって人間の記憶の曖昧さを感じました(一般化したらあかんやろ。単にあんたの老化、記憶力の問題でしょ「はい」)。
まあそれでも2時間20km は走破。ひさびさの20超です。ところが帰って距離測定のサイトで計測すると17km しかないんです。
「おかしいなあ。確かにペースはゆっくりやったけど17ってことはないはずやねんけどなあ」と。
それがですねえ、なんと走ったところをなぞらずに飛ばしていました。しかも3回目にしてやっと正しい距離が出ました。1年前の記憶どころかその日のそれさえ定かではないとはなんともはやお恥ずかしい話です。
けっきょく20km ちょうどでした。最近私の体には距離計測計が内蔵されたようです。時間とペースでかなり正確に距離が実感できます。ついに私も精密器械です。一歩一歩刻んで少しずつ借りを返しましょう。


走り終えてブックオフへ。堂場さんを105円で見っけ。『八日目の蝉』も同。さらに欲しかった日明恩さんの『鎮火報』続編、『埋み火』を入手。(これは450円です)なんかついてるかも。このままいろいろとつきが回ってきてほしいな。


静岡の同期が「しらす」を送ってくれました。「辛子漬け」のお返しです。「桜エビ」もくれたんで雛祭りのちらしずしの彩りに使いました。

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鮮やかでしょ。ちょっと暗くて写真があまりよくないですね(いつものことです)。
「しらす」は白ご飯の上にのせてちょっとしょうゆをかけてよばれましょう。これが抜群にうまいんですよね。ありがとうね、Sくん。


早起きしたので眠いです。今日で日曜を使った中3の入試直前講座が終わりました。ちょっとした解放感をあじわっています。寂しさも感じています。
3月6日が公立入試。あと少し最後の詰めをしっかりやりましょう。

ウグイス

2013年03月02日

一日中小雪舞う寒い日でしたがウグイスの声を初めて耳にしました。例年より少し遅い気がします。
忙しく、の耳が外へ向いていないだけで彼らはとっくに春を告げていたのかもしれません。

ウグイスに限らず気持ちに余裕がないとなかなか回りのことに気づきません。関心がないと目が向きません。

なににつけ周辺への気配りは肝要です。

心がけていますが思ったほどはできていないんでしょう。

もうちょっとちゃんとしようと思っています。

思うだけは簡単。実際やるのは難しいかな。

でも心がけます。

朝一から原谷で中3入試対策。午後一で西賀茂同様。
その後ロボット体験。

今日も一日やりました。

明日も朝から入試対策講座です。

早く寝ましょう。

ここんとこちょっと寝不足、というか朝寝不足です。

明日も早起きします。苦手ですがね。

おやすみなさい・・・・・・・・・・・・・(今日はPCちゃんご機嫌よろしくつつがなきでした)