蘇る(?)熱い思い

2010年11月17日

「テスト前やし明日から木、金、土、日、月、火、水曜日まで毎日あるしなあ」
「明日は何時から何時ですか」
「8時から10時やね。いつもの補習の時間やし」
「もうちょっと早なりませんか」
「なんで?」
「いや素振りをせなあかんのですよ」この子はいつもきちんと敬語です。
「来る前にしたらええやん」と言いつつ感心しています。今年の西賀茂中3は野球少年がいっぱい。それを考えての進路選択組が多いんです。けっこう野球は優秀なんです。
筋トレのためにジムに行ったり素振りを欠かさなかったり走ったりと自分に厳しく鍛えているようです。私も見習うべき点が多いです。ひとつのことに熱中邁進する。高邁です。えらいよね、みんな。俺もやることやろっと。

そう言えば私もやりました。高校時代は剣道部。痩せっぽちの非力だったのでなんとか腕力をつけようと鞄にいらぬ教科書を詰め込み重くして永谷園(だったと思う)のお茶漬け海苔の缶に砂をつめて通学していました。さらには人目がなければその鞄を水平に持ったり、肘を直角にして鞄を捧げたりして登下校していました。
たまにバスに乗れば(定期代をお小遣いにするため毎日歩いていました。40分くらいでしょうか。あの厳冬の釧路でですから自分を疑います)吊革を持たず人に知られぬよう、つま先立ち状態。今思えば噴飯ものですね。でも熱かったんでしょう。とにかく必勝が至上命令の伝統校でしたからね。不相応の主将という大役が重荷でした。

20年連続の道大会出場を決めたときは胸をなでおろしました(優勝はならず準優勝でのそれでしたが)。
全道大会の最後の試合を終え、面をとると涙がとめどもなく流れてきたことが思い出されます。1年後輩、次期主将の髭修平(ごめん、実名)くんに聞かれました。
「露原先輩、これはなんの涙なんですか」(無粋なやつや。当時はそうは思わんかった。今も思てへんで、髭くん)そう聞かれても自分でもわからない涙。当時から涙腺は緩かったんでしょう。
今考えるとあの涙は重い責を曲がりなりにも果たした安堵のそれだったんでしょう。

当時の熱い思いを蘇らせて今できることをやりましょう。