生きよう

2015年12月05日

野暮用あって大阪へ。梅田駅で声をかけられます。
「せんせ、せんせ」
「ん? 梅田に知り合いはいない」と見ると京都産業大附属中高のF先生ではありませんか。
「え、お仕事ですか」
「ええ、研修で」
「そうですか。明日はいらっしゃるんですか」
「はい、寄せてもらいます」
「では、そのときに」

いやあ、のっけからびっくりです。

その後会場のビルを目指しますがいつも迷います。4回目くらいです。すっと行けたことは1回だけ。
今日も迷いました。

出席した甲斐がありました。来年1月にもう一度話を聞きに行って考えましょう。


帰宅後ほっこりしているとめったに鳴らない電話が。

長女に長女が生まれました。長女からの電話でした。
「遅れそう」と聞いていましたが予定日より2日早かったです。
安産で母子ともに元気なようでなによりです。
二女情報からだと「真穂」ちゃんです。

孫が2人いるということが我がこととして受け入れにくい心情があります。
うれしくないと言っているわけではありませんよ。
自分の両親が早くに亡くなったんで、自身がこういう立場になろうとは夢にも思っていなかったんです。

父親なんて47か48か、という若さであの世へ。孫どころか俺の成人時は闘病中だったかな。怖い父親だったけれど、もうちょっと生きてくれたらよかったなと思います。
酒を飲みながら男同士の話ができればよかったな、と思います。
まあ、いざ、そんな場面になったら照れくさくてなんも言えないかもしれません。
いろんなことひっくるめて、そんなこともあったらちょっと違った私になったり、違う文章が綴れたかもしれません。

どうがんばっても死んだ両親にはいかんともできません。
両親以上に生きた私は思います。
「もうちょっと生きててくれれば孝行の真似事ができたかな」

おとうちゃん、おかあちゃんが生きられなかった年にさしかかったつゆはらくんは彼らの分まで味わって人生を送るべきかな? どうなんだろうね。