喫う自分、喫わぬ自分

2022年12月12日

「うどんのおば」からメッセージ。
「お返しなんていらんから、送るうどんで姉(私にとって母)を思い出してほしいだけ(要約)」。おばに思いをはせたことはありましたが母まではいかず。おばの過去のメッセージにそれを思わせる文言はありました。己の至らなさを痛感。恥ずかしくなります。

もちろん母の日や3月3日(母の誕生日)などには亡くした母親を思います。きれいな自慢の母でした。生きてりゃ86歳か。
「俺は66歳になって元気に生かせてもらってるよ。ありがとな」。孝行する前に亡くなってしまいました。残念です。
「ほんまに孝行したんか?」の声が聞こえなくもないな。まあ。そのうち私も死にます。「あの世」というものがあるのならそこで会いましょう。会いたいな。ついでに父親とも会って酒を酌み交わしたいです。「ついで」はよけいですね。むはははは・・・・・・

トラックに乗ると煙草臭がきつい。消臭剤をプシュッとやろうとしましたができません。

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凍っていたようです。アルコールが含まれているので0℃では凍らないと思います。確か-110何℃が凝固点だったかな。純粋なそれではないので凍っても不思議ではありません。

さて煙草。「禁煙」シールを貼りましょうか。それは角が立つから笑って言いましょう。
「喫うなら窓を開けてね」。

喫わない人の身になることを望みます、喫煙者には。
まあ、喫っていた自分には言う資格はありません。喫っていたからこそ言えることかもしれません。

煙草に限らず未熟なじいさんは他者を慮るのを忘れないようにします。