京都人

2021年04月21日

「飲んでみなはれ」「
「『なはれ』て」。というTVコマーシャルをしている、「伊右衛門」の「京都ブレンド」を買いました。(あんたみたいなんがいるしTVでコマーシャルしはんねんやなあ。それとやたら「 」が多いなあ)

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そう「なはれ」。「しなさい」をやさしく言いかえたのが「なはれ」でしょうか。
生粋の「京都人」は使うかな。私は京都住まいが長かっただけで「京都人」ではありませんから「なはれ」は使いません。
「京都人」は平安時代くらいから京都に住んだはらんとあかんみたいです。
左京区や右京区は「京都」ではないそうです。
「おうちはどちらのご出身ですのん」
「京都です」
「京都のどこ?」
「太秦ですわ」
「へ? 太秦(は京都やあらへん)」というような話があったりします。
ほんまもんの「京都人」は下下とは違う世界に住んだ「はる」みたいです。

そう「はる」は「京都人」ではない私も使います。尊敬の助動詞「れる・られる」だとかしこまり過ぎるときに使える便利な「京都助動詞」です。言葉の当たりが柔らかくなりますね。

関西弁のなかでも京都弁は柔らかい感じはしましょうか。根えはしっかりしたはります。
権力をもつ者が変わる町で生きるには外面(そとづら)のよさは必須やったとも思います。
外では(意に添わずとも)こびても譲れぬ内面(ないめん)を持ってはったんでしょう。

そのとき、その時でそれぞれの人人がそれなりの何かを抱えつつ生きています。

じいさんもそれなりちっぽけな何かに悩んだりちょっとしたことにうれしさを感じたりしながら、ときにははらわたが煮えくり返るくらいの腹立ちも感じながら生きていきます。